2007-12-07から1日間の記事一覧

街でみかける易者も、今日のような方法で占っているのでしょうか?

基本的にはそうでしょう。ただし、近世以降易の方法も多様化していますので、現在の易の一般的な方法が何であるのかは知りません。私は、術者が人間として信頼がおけない限り、その人の実践も信用することができないので、商売としての占いからはどうしても…

大学で易が教授されたとのことですが、当時の官僚たちも占いをしていたのでしょうか?

吉備真備が子孫に家訓として残した『私教類聚』には、占いに耽溺してはならないとの戒めがあります。この書物は多く『顔氏家訓』を引き写したものですが、日本の社会に意味のないことを引き写しても仕方がないので、貴族の間でも易の流行があったと思われま…

最初の一本は何のために抜くのでしょう。

これは、あらゆるものの根源である太極を象っているのですね。つまり、易のプロセスは単に数字を導き出す動作ではなく、手の中に太極・天・地・人、すなわち宇宙そのものを再現し、その理法を見極めようとする宗教的実践なのです。ゆえに、本当は、ぜい竹を…

百済が日本へ博士を派遣していることには驚きました。日本と百済は対等な関係だったのでしょうか?

六世紀末の飛鳥寺建設において、仏教建築のエキスパートとして瓦博士等が渡来してきていたことは確かです。『書紀』はそれ以前の五経博士等についても、倭の要請(命令?)に従うような形で百済が技術者・知識人を送ってきたように書いていますが、百済側と…

占いをするときには、占う内容について考えるのでしょうか。それとも無心でするべきですか?/占いをしているとき、邪念が入ってしまった気がします。実際にある程度重要性の高い事項に関して占った際、占いをした人の意思や思惑が介在することはあったのでしょうか。

『周易』繋辞伝や『正義』『本義』に書かれたぜい法では、心身を清浄にして易に臨むべきことが求められています。しかし、願った内容を実現してもらうわけではないので、問う内容を常に頭に思い浮かべておく必要はないでしょう。自分を天地人と一体化させ、…