2007-12-12から1日間の記事一覧

「前追」は、平安時代にあった「先駆け」と関係あるのでしょうか。声を発して邪気を払うという点に共通性がある気がするのですが。

根っこは同じでしょう。天皇の行幸の際に犬の吠えるまねをして邪気を払った、隼人の狗吠(くはい)あたりがオリジンでしょうか。

以前に観た歌舞伎の『三十三間堂棟木由来』で、木霊と人間との間にできた子供が、母である棟木を引くというシーンがありました。これはどのように読み解くべきでしょうか。

これは、新年に扱う木霊婚姻譚の典型で、その成り立ち・意味についてはこれから詳しく考察します。「引く」ことには非常に重要な意味があります。

大木の秘密にみる伐採の方法には、各国の伝承間で共通性がありますか。

ある程度は見受けられます。日本の場合、「中臣祭文」を核とする呪術的な伐採法から、単に木っ端を焼くだけという簡易な方法へ数百年かけて変化します。後者の内容を持つ伝承は、現在でも日本中に確認できます。このような変化は、列島に暮らしてきた人々の…

「こぶとりじいさん」なども、マージナルマンになるのでしょうか。

そうですね。こぶとりじいさんは村落共同体の成員ですが、頬に大きなこぶを持つという異形のため、神霊と交換できるマージナルな存在と考えられていたのでしょう。物語の筋からいっても、こぶを失って以降は鬼との関わりが断たれます。内的文脈では鬼を騙し…

マージナルマンは共同体の中へ入ることはないのでしょうか。共同体に入って、その外側との間を往来するような、トリックスター的な役割はないのでしょうか。

重要なのは、境界的であるということが、その人間の本質ではなく、シチュエーションによって付されるラベルに過ぎないということです。例えば旅行者などは、故郷へ帰れば共同体の成員となりますが、旅先では常にマージナルな位置づけをされます。典型である…

中国では、ざんばら髪や着物を左前に着ている人物などは、文明化のなされていない夷狄の表象でした。髪を振り乱した形が魔除けになるというは、このことと何か関係があるのでしょうか。

関係しますね。中国に限らず、文明/非文明という二項対立的な構図のなかでは、文明が開明的な権力を有する一方、非文明の側に文明では推し測ることのできない恐ろしさ、呪術的な威力が見いだされることが多いのです(これは一種の差別意識です)。古代日本…

「伐梓」が、異民族討伐から樹木伐採へ意図的に読み替えられたとするなら、それはどのような目論見からだったのでしょう。

どなたかの感想にもありましたが、やはり自然の征服を象徴する物語へ転換するためでしょう。六朝期の志怪小説には、英雄が神を殺して自然を克服する話が多くみられます。南北朝期、中原への遊牧民の侵入によって漢民族が南方へ移動し、その地で大規模な開発…

中国古代は、中原でもまだ気温が高く、亜熱帯のような気候だったと聞きます。寒冷化が始まったのはいつからなのでしょう。

環境史においては、秦が拡大して戦国諸国を滅ぼし、統一帝国を構築してゆく過程に寒冷化の影響をみます。このとき、南方の雄であった楚や、長江文明の象徴のように考えられている巴蜀が秦によって滅ぼされますが、その背景には華北の寒冷化に伴う人々の南進…

『捜神記』に水神としての牛が出てきましたが、日本では、地獄の牛頭や牛鬼など恐ろしい存在がある一方、八坂神社の牛頭天王のように祭られる存在もあるようです。これは日本人の心性とどのような関係があるのでしょうか。

地獄の獄卒としての牛頭は、やはり中国から伝わったものです。現実世界では人間に酷使されていた牛馬が、逆に人間を責め立てるという逆転の構図が孕まれています。牛鬼は、水神としての牛の災禍をなす面が強調された姿でしょう。牛頭天王は、元来はインドの…

 全学共通科目:日本史(12/12分)

※講義で取り上げた『捜神記』の〈大木の秘密〉について、なぜ水神は牛の姿をしているのか、なぜ青色なのかといった質問が多数ありました。また、「伐梓」が異民族の討伐から樹木伐採へ読み替えられた点について、『史記』『捜神記』『史記正義』の関係を問う…