2008-01-11から1日間の記事一覧

背景として、当時の令外官について知りたいのですが、律令規定にはない彼らの創設理由、またなぜ「外」であり続けたのか教えてください。

「金科玉条」といわれるように、基本的に律令の条文自体は変更されません。しかし、律令に規定されている事柄は大まかなものにすぎませんし、元来中国王朝の法規定をほとんどそのままに継承した内容ですので、時代や社会に合わないことはたくさん出てきます…

当時の人々や後世の人々は、仲麻呂の描いた鎌足像をそのとおりに理解できていたのでしょうか。/『説文』では「史」を中正を持つ者と説明しているそうですが、仲麻呂の歴史叙述は中正とは思えませんでした。それも古代的な意味では中正といえるのでしょうか。

『周易』はそれなりに普及しており、知識を持った貴族は大勢いたでしょう。しかし、彼らに仲麻呂の意図が充分読み取れたかどうか、恐らくよほどの学者でなければ無理だったと思われます。これは、『家伝』が誰に向けて書かれたのかという問題、歴史叙述の性…

鎌足が三島に下野した理由は、『書紀』も「大織冠伝」もともに『周易』に依拠するのでしょうか。前者には『周易』にリンクする記述はないように思うのですが。

『書紀』は『周易』によるものではありません。この部分、「大織冠伝」が卦を持ち出しているのは、鎌足の神祇伯召命・三島退去をクーデター肯定史観より正当化する必要があったからで、山背謀殺を動機にしうる『書紀』はその時点で正当化がなされているので…