2008-05-02から1日間の記事一覧

環状列石には、どのような石が使われたのでしょう。価値のあるものが使われたのではないでしょうか。

共通の特徴としてみえるのは、「川原石」であるということです。つまり、川の流れのなかで角が削られ、丸みを帯びた石です。やはり「丸」という形状に価値が認められたのかも知れませんが、「水」が重要な意味を持っていたようにも考えられます。前近代にお…

再生を促された死者には、もうエネルギーは残されていないと観念されたのだろうか。

これは憶測ですが、死という現象、死者という具体には、プラスのエネルギーの枯渇状態とマイナスのエネルギーの発露状態の二側面が観測されていたのではないでしょうか。ただこの二つはまったくの別ものではなく、相互に転換することが可能である。死/再生…

集落の中心に墓域を置いて、死者に対する恐れはなかったのだろうか。

まったくなかったわけではないと思います。しかし、共同体の祖先という発想が死者をより身近なものとし、円環という構造がマイナスのエネルギーをプラスに変える機能を担っていたのではないでしょうか。環状集落やストーンサークルが生まれ、そして廃れてゆ…

「人体の具体に固執する」ということは、エジプト等の死体のミイラ化にみられますが、肉内保存など徹底したものに限るのでしょうか。また、どの基準をもって「具体に固執」とするのでしょう。

講義で説明したのは、あくまで屈葬と伸展葬の違いにおいてです。屈葬はわざわざ遺体に加工を加えて意味を持たせるので、埋葬後もその姿形であることが重要だったと思われます。つまり、具体的な形に捕らわれているのですね。一方の自然葬は、遺体に無理な格…

一度墓から骨を取り出して再葬するという話で、沖縄の洗骨を思い出しました。沖縄も祖先祭祀を重視する風習がありますし、洗骨儀式をより重要なものとしているそうですし、最近は減ったようですが墓も本来子宮の形を模したものだったと聞きます。やはり洗骨も骨を抽象化し、信仰の対象へ変えてゆく儀式なのでしょうか。

沖縄の風習は、縄文時代の様々な遺習とよく似ていることが指摘されています。弥生時代、縄文系の人々や文化が次第に駆逐され、列島の南北の隅へ追いやられたのだという見解もあります。縄文/弥生の文化交替は、融和的に平和裡に実現されたことが分かってき…

古代の人々は、どうして死などの霊的なことについて考えたのか疑問に思いました。アニミズムの考えの源や原因は、研究されているのでしょうか。

前近代社会や民族社会において、宗教は現在の科学と同じような役割を果たしています。私たちはこの世界で生活を営んでゆくうえで、様々な疑問にぶつかります。なぜ太陽は朝に昇り夜に沈むのか、なぜ月は満ち欠けをするのか、なぜ雨は降ってくるのか。単なる…

「黄泉国の成立」の参考文献です。

シュヴァープ、グスターフ/角信雄訳 1988 『ギリシア・ローマ神話』1 白水社池上悟 1997 「古墳の墓前祭祀」季刊『考古学』59石井寛 2006 「縄文後期集落の構成と変遷―関東南西部と中部高地を中心に―」安中市ふるさと学習館『ストーンサークル出現―縄文人の…

リクエストがありましたので、寺野東遺跡の場所について掲示しておきます。

栃木県小山市梁。JR水戸線の結城駅が最寄りで、駅からタクシーで5分ほどとなります。下記URLを参照してください。http://www.adnet.jp/nikkei/shiseki/contents/083.htmlhttp://blog.adnet.jp/shiseki/index.php?ID=86