2008-05-23から1日間の記事一覧

埴輪が手を挙げて馬を引いているということは、当時の馬も現在の馬と同じサイズだったと考えていいのですか。

日本古代の馬は、4世紀頃に朝鮮半島を通じて輸入された、モンゴル馬あたりが起源であると考えられています。東北には野生馬がいた可能性がありますが、現在の列島在来種はモンゴル馬と遺伝子的に一致するようです。サラブレッド等と比べれば小型種に属する…

現代の私たちにとってウサギは可愛らしいイメージですが、中国で月に住むヒキガエルが夜を象徴するように、日本のウサギも夜のように暗いイメージがあったのでしょうか。

直接的に夜を象徴するというより、やはり再生のシンボルだったとみるべきでしょうね。ウサギは極めて繁殖力が高いので、西欧文化圏においてはイースターと結び付けられる反面、性や肉欲の象徴ともされました。インドでは、自分の身体を犠牲にして仙人を救っ…

死者になった姿を見られたイザナミが、それを「辱」と感じたという部分は、儒教的な貞操観念の流れを考えてもいいのでしょうか。

貞操とはやや違うように思います。ここは解釈の分かれ目で、イザナミは腐乱した姿をみられたことを「辱」としたのか、それともイザナギに逃げられたことを「辱」としたのか。二者択一にしないでもいいのですが、いずれにしろ、その背景には生者の世界/死者…

破邪の文様や副葬品が描かれている装飾古墳の石室内には、今までの古墳と同様に、実物の副葬品はあるのでしょうか?

個別に判断すべき問題でしょうが、壁面に描画されているからといって、副葬品が少なくなることはありません。むしろ、凝った壁画を残す古墳は、それだけ先進的な文化を受容しうる、多くの工人・技術者を抱えうる政治集団のものでしょうから、それなりの副葬…

副葬品が多くなるのは、埋葬者に対して精神的な距離を置いていることへの「負い目」のようなものはあるのでしょうか。

どうなんでしょう。そういう個別の情念みたいなものが制度へ影響を与える、という視点は大切だと思いますし、考えてみなければいけないことですね。ただ、現在の考古資料や研究情況からみえてくるのは、むしろ、「後継者の権威付け」かも知れません。前代の…

琴を使った祭祀が具体的にイメージできないのですが、どのように使われていたのでしょう。

芸能と祭祀とは密接な関係があり、歴史の古い楽器はたいてい神祭りの道具に由来します。琴の使用は弥生時代まで遡ることができますが、『日本書紀』神功皇后摂政前紀では、神功が仲哀天皇に祟りを降した神を知るために数多の神霊を呼び寄せ、体に憑依させて…

装飾文様の円文は鏡を表しているとのことですが、そもそも鏡が円いのには何か理由があるのですか。

いろいろな考え方があるでしょうが、中国的世界観に照らして考えれば、天を象徴する道具、あるいは太陽を写した道具として円形を取るのだと考えられるでしょう。中国では天は円形、地は方形という、経験的観察に基づいた世界観があります。鏡は地上に置けば…

装飾文様から壁画への変化が、線刻から描画への変化でもあることに驚きました。線刻の方が長く残りますし手間もかかるので、装飾としては上等なもののように思いますがどうでしょうか。「進歩」とは簡略化なのですか? / 彩色と線刻では、描かれているものが同じ場合、同じ意味になるのでしょうか。

これは、線刻の文化と描画の文化とのモードの新旧に由来することと思われます。線刻は人間が文字や絵を描くときの方法として最もプリミティヴな方法で、身体と刻むことのできる硬質な道具があれば可能なワザなのです。それに対し、描画は顔料の作成を下準備…

福岡県や熊本県のお墓を多く取り扱うのには、何か理由があるのでしょうか。他の県の古墳には、中国の影響などあるのでしょうか。

九州の古墳を扱うのは、単純に、福岡・熊本以外の地域に類例として優れた装飾古墳がないからです。東日本太平洋側の茨城〜福島辺りは、九州と同様に装飾古墳が多く分布する地域で、七世紀以降に幾つかの類例を認めることができます。描かれた内容は、九州に…