2008-05-26から1日間の記事一覧

日本の神話に非常に興味があります。どんな本を読めばいいのか教えてください。

日本の神話に関する研究は厖大で、みなそれぞれに読むべき価値を持っています。オーソドックスなところでは、他の地域の神話などとの比較、縄文や弥生といった考古学的成果との関連で考えるなら、大林太良や吉田敦彦といった人の本が面白いでしょう。ほかに…

大安寺はなぜ「大寺」ではないのですか。

平城京という新しい都へ移ってきた時点で、舒明天皇の「百済大寺」、天武天皇の「大官大寺」という位置づけが弱くなり、平城京を運営する新たな王の寺を「大寺」と呼ぶことが原則になったのでしょう。平城京では、「東大寺」「西大寺」のみが「大寺」と呼ば…

『万葉集』だけがなぜ自然と共生的な思想で書かれているのですか。

まずは個人の歌を収めた書物であるからで、いくら大王や王子の作ったものであっても、王権という政治システムから発せられる思想とは、必然的に異なってくるのだと思います。当たり前のことですが、古代人も、個人的には自然を愛好する性向を持っていたので…

瓦を作るのに山がはげ山になるほど木を使ったのでしょうか。樹木信仰が薄れたから木を伐ったのですか?

時代によって波がありますが、日本列島から樹木信仰がなくなるということはありません。しかし並行して木を伐る必要はあった。むしろ日本列島に暮らしてきた人々は、木を伐ることなしには生活を営めなかった、それゆえに(自己の行為を正当化するため)伐採…

推古朝の時代、百済と高句麗の技術が混在して使われていたようですが、そのことが寺院ごとの建築様式の相違に結びつき、寺院や豪族どうしの争いの種になったりすることはなかったのでしょうか。

この時期、寺院どうしの軋轢はあまり見受けられませんが、逆に『書紀』の表面からみえる政治的対立とは違った氏族的交流が、寺院の造営から垣間見えることがあります。金堂に葺かれた軒丸瓦の瓦当紋様からすると、当時の造寺技術は、蘇我氏系・上宮王家系(…

史料4で使われた「中臣祭文」が実際に載っている書物はあるのでしょうか。どんな言葉なのか読んでみたいです。

新訂増補国史大系の『朝野群載』という書物に全文が収められています。しかし、宣命体で書かれていますから、史学科の訓練を積んだ人でないとなかなか読めないかも知れません。ちなみに、その原型となった「大祓祝詞」は『延喜式』という書物に収められてい…

史料4で巨木を伐るときに用いる注連縄は、神様を封じる役割をしているのでしょうか。注連縄とはそういうものなのですか。

注連縄の本質的な機能は、結界を張って内/外を断絶させることです。現在、神木と崇められる樹木の周囲に張ってあるのも、それから先が神域であることを示し、安易な立ち入りを防ぐためです。しかし、史料的な初見である『古事記』や『日本書紀』の天石屋神…

史料2で神殺しを行った河辺臣は、いくら天皇権力が神よりも強くなってきているとはいえ、罰せられたりはしなかったのでしょうか? この物語を記述した人は、何か罪を得そうな気がするのですが。

この伝承の成立については、拙稿「伐採抵抗伝承・伐採儀礼・神殺し」(『環境と心性の文化史』下、勉誠出版、2003年)で詳述しましたが、もとは河辺臣の氏族伝承であったと思われます。同氏は外交使節や外国への派遣将軍を輩出した家柄ですが、それだけに、…

ギルガメシュ叙事詩と違って、神の抵抗に打ち勝つという展開があるのは、天皇権力の強さを示そうとしているのですか?

言説の形式としては、中国六朝以降の志怪小説等によく出てくるものです。英雄や王が、災禍をなす神や怪物を退治して、自然を切り拓いてゆく。社会なり共同体なりが肥大化し、それを支える資源が今まで以上に必要になると、それを実現しうる規模の開発が志向…