2008-06-06から1日間の記事一覧

祖父の戒名には「泰山」という言葉がありましたが、地獄へ行ってしまったのでしょうか。

そんなことはないと思いますよ。「泰山」は中国の代表的他界、霊山なので、単に魂の鎮まるところという意味で使っているんじゃないでしょうか。

オルフェウス神話と黄泉国神話を比較したとき、後者の方が気味が悪いのは、日本のホラー映画が恐いといわれるのと同じで、死に対して負のイメージが強いからなのでしょうか。

そうとばかりはいえません。授業でお話ししたように、やはり神話としての段階が相違するからでしょう。ギリシア神話が演劇としての洗練度を「美しい悲劇」の方へ高めているのに対して、日本の黄泉国神話の方は、国家的編纂事業とはいえ喪葬儀礼の近くに位置…

仏教では、朽ちぬ遺体を往生者と扱うとのことですが、ではなぜ現代の日本では火葬にしてしまうのでしょう。

当然、古代の中国でも日本でも、火葬は仏教に関わる葬法として実践されていました。往生伝の類をみますと、火葬にふすまでの殯の期間にまったく腐乱しなかったとか、芳香が漂っていたなどの言説がうかがえます。六朝から隋唐にかけて広まったとある仏教的奇…

朽ちぬ遺体の伝説について、それを発見した人は、そもそもなぜ墓を開けたのでしょうか。

確かに不自然な話ですね。伝説の類には、墓からいい芳香がしてきたとか、光を発したなどの奇瑞が描かれます。東ヨーロッパなど吸血鬼信仰の強かった地域では、死体が朽ちているか確認するため、一定の期間を置いて墓を開けてみることもあったようです。盗掘…

冥府に関する神話の比較で、「後ろをみてはいけない」というタブーが共通するのはなぜでしょう。

話型のモチーフとしては、「見るなの禁」と呼ばれています。これはひとつ冥界神話に限らず、他界や、そこからやって来る異人との交渉譚にはよく付随するタブーです。他界は現実世界と異なる秩序で成り立っているため、両者が平和的に交渉するためには幾つか…

王道平の話で、「三度名を呼ぶ」とありました。孔子も愛弟子顔淵の臨終に際し、三度名を呼んで慟哭したとされていますが、この「三」という数字には何か意味があるのでしょうか。

昨年の後期特講でも詳しく話題にし、『歴史家の散歩道』掲載の拙稿でも触れたのですが、「三」は宇宙全体を象徴する基本的な数字として世界的に多く認められているものです。数学的にも物理的にも真理として君臨する数字でありキリスト教神学では三位一体、…

世界各地で黄泉国神話に類似の物語が存在するのは、単なる偶然とは思えないのですが。

こうしたミッシング・リンクは、歴史上至るところに存在するものです。学問的な考え方としては、同じような環境・条件下では類似の思考・言説が発生するとみるか、どこかひとつの場所からの伝播とみるかの二通りがあります。二者択一というより、複合的に考…

文化人類学や神話学などで、今日読んだ神話などを構造的にパターン化できるのでしょうか。

中国の墓制について、魂が璧を抜けて自由に天界と往来できるとすれば、留まるべき安住の地はないということだろうか。

中国古代の霊魂観では、何ものからも解き放たれて行動できる自由なありようこそが、理想的な霊魂のあり方とされたのでしょうね。どこかに束縛されているのは、むしろ霊魂として健康ではなく、それらが人間に災いを及ぼす存在になるとみられたのでしょう。

階層秩序の具現化のために厚葬が行われたとのことですが、この頃は、死んだらみな平等という考え方はなかったのでしょうか。 / 始皇帝陵の内部に支配地の地理が造型されたということは、当時は俗世の権威が来世にそのまま引き継がれると考えられていたということでしょうか。

死後の世界は平等、という考え方はありませんでした。むしろこうした考え方は、世界的にも珍しい、新しいタイプの冥界観かも知れません。民族世界においては、1) 冥界は現世とはまったく逆の世界だ、という視点が多いですね。この世の生きとし生けるものは、…

馬王堆漢墓の朽ちぬ遺体は、「尸解仙」の観念で考えられた可能性もありますか?

馬王堆はともかく、確かに、不思議な死に方をした人の言説が、尸解仙と関連付けられたことはあったようですね。ただし、中国の神仙伝類では「衣を残していなくなっていた」と書かれるのが普通なので、朽ちぬ遺体と直接的に繋がる事例は知りません。とにかく…