2008-06-13から1日間の記事一覧

西の山が死者の世界であるのなら、東の山にはどういうイメージがあるのだろうか。

東は太陽が昇るところですから、神聖で生命力に溢れたイメージとなります。たとえば二上山に対応する三輪山は、もともと王権の太陽信仰の聖地で、歴代の天皇霊(天皇の霊魂というより、その霊的権威を保証するエネルギー)が宿り、皇位継承にも深く関わる存…

現在の葬儀に用いる清め塩のようなものを、古代日本でも使っていたのでしょうか。また、現代の葬儀のありようについて、式の執行後の行動について、地域ごとの相違などあるのでしょうか。

塩は様々な儀礼で用いますが、現在のような死のケガレを落とす代表的役割は与えられていません。清め塩が当たり前のように葬儀の現場で用いられるようになったのは、近世を通じて、都市部における死穢の除去法が平均化した結果でしょう。

インドのサティーのように、日本には殉死の風習はなかったのでしょうか。

『日本書紀』垂仁天皇三十二年七月己卯条の記述によれば、皇后日葉酢媛命の喪葬に際し、それまで行われていた殉葬の旧弊を改めるべく、土部を率いる野見宿禰によって、土人形たる埴輪が創造・設置されたとされています。しかし、考古学的に分析すると、人物…

死者の魂が浮遊する天にある太陽が、それゆえに特別な存在とみられたのだとすれば、アマテラスとの関係が気になる。太陽は霊魂の集合した姿だとはみられなかったのだろうか。

太陽にはさまざまなイメージが習合していると思われますが、確かに最高の霊格であるという認識はあったと思います。ただし、それが死者と直結するようなことは、中国でもなかったようです。しかし、『日本書紀』によるとアマテラスの霊威はすさまじく、最初…

いちど黄泉国から戻ってきた人は、最期にどのような理由で死ぬことになるのでしょう。

よみがえりは、不慮の事故や病没などの頓死がキャンセルされる場合が多いですね。本当の最期を迎える場合には二つのパターンがあり、ひとつは長寿を全うする場合、もうひとつは簡単な理由であっけなく死ぬ場合です。どの方向へ進むかは、よみがえりの段取り…

シャーマンは死者に対して力を持っているのに、どうして神に守ってもらわないといけないのでしょう。

シャーマンは下級の精霊を自分の手足として使えますし、他界の力とも交渉できます。しかし、当然のことながらその能力にも限度がありますし、そもそもその源は精霊との友好・契約関係や、上級の神格への奉仕によるところが大きいのです。個々の死者の力は小…

『古事記』景行天皇段の后妃と皇子たちは、「匍匐ひ廻りて」哭いて歌を詠むわけですが、それは人間と歌のなかの「匍匐ひ廻ろふ野老蔓」という植物と、アナロジカルに結びつけられるのですか。

「匍匐ひ廻る」こと自体は喪葬儀礼の一環で、『古事記』のイザナミ埋葬場面にも出てきます。一方の「野老蔓」は植物の生命力を示すもの、つまり死者の復活を願う類感呪術のように考えられています。しかし、地を這い身をくねらせる蔓のように激しい悲しみを…