2008-06-27から1日間の記事一覧

大化の薄葬令で、国家的に墓地を定めるとありましたが、国営の墓地を作ってそこにしか埋葬させないということでしょうか。

これは逆に、埋葬してはいけない場所を明確に規定するという発想ですね。例えば公道のうえ、周辺など、墓地造営が景観を悪化させることのないよう配慮しているのです。古代における景観は権力のありようと密接に結びついていて、単に美的感覚の問題ではあり…

首長霊の継承儀礼を行ったあと、古墳の被葬者は何も力を失ってしまうのでしょうか。

これについては複数の説があります。ひとつは中国の魂ぱく分離概念に基づくもので、魂は新首長に引き継がれ、はくが被葬者の肉体に留まります。この両者を宗教的エネルギーの源泉と考えるのがひとつ。ほかにも、

無量寿経や盂蘭盆経など、仏教のことについて解説した詳しい本はありますか。

そうですね。仏教経典に関する概説は巷に溢れているのですが、最近、「これはぜひ!」というものが見受けられないのが現状です。経典に関しては岩波文庫、中央公論社の「大乗仏典」シリーズなど各種翻訳も出ていますので、そちらに当たった方がいいかもしれ…

阿弥陀如来の四十八願のなかで、第十八願が最も重要だという話がありましたが、いわゆる十八番(オハコ)などの言葉と関係あるのでしょうか。

あるという説、ないという説の両方がありますが、直接的には9代目市川団十郎の演目に由来します。ちなみに、第十八番は「暫」であったようです。

古代においては、浄土教以外の仏教は、すべてそれ以降に受け入れられていったのでしょうか。

祖先供養に関わる浄土系の経典も早いのですが、ほぼ同時に護国三部経たる『金光明経』(後、新訳の『金光明最勝王経』が利用)『法華経』『仁王経』の依用が進み、大部を誇る『大般若経』への注目も高まりました。これらは経典の持つ哲学的な内容より、写経…

古墳の終焉とともに寺院が増加したとのことですが、その財源はどのように確保されたのでしょう。税金でしょうか。

仏教の普及と定着を図りたい国家は、推古天皇二年二月の三宝興隆詔以来、各氏族の氏寺創建を積極的に援助してきました。しかし、天武天皇九年には、二、三の国大寺以外は官による管理を終了し、食封も30年を限度に停止することにしたようです。推古朝から持…

寺院が祖先祭祀の機能を持ったことは分かりました。しかし寺院の中心は、舎利の埋納されている塔から金堂へと変わってゆくはずですが、それは祖先崇拝の考え方が弱まっていったことを意味するのでしょうか。

必ずしもそうとはいえません。仏塔が釈迦の古墳と考えられたにしても、そこにおける信仰対象は自身の氏族の祖先ではなく、その来世的幸福を保証してくれる仏教的神格です。仏教を取り入れた時点で、まず祖先祭祀から祖先供養への変質が起こっているのであり…

仏教と在来宗教との融合は、仏教を受容した国ならどこでもあることかと思いますが、日本でこんなに早い段階から進んでいるとは思いませんでした。神社と寺院が混ざったような施設は、いつごろからあるのでしょうか。 / 在来信仰と仏教との結びつきは、古い時代には必ずしも強くなかったように思います。民衆レベルではどのように捉えられていたのでしょう。

文献から確認できる神仏習合の最も早い例は、『日本霊異記』上巻七縁に描かれた三谷寺で、白村江の戦いの後に「神祇のために」建てられた伽藍と書かれています。また、『藤氏家伝』下巻「武智麻呂伝」では、霊亀元年(715)、藤原武智麻呂によって気比神宮に…