2008-07-14から1日間の記事一覧

なぜ建築物の礎石として花崗岩が使われたのでしょう。また、それはどこから持ち込まれたのですか。

奈良県にも花崗岩は分布しており、南方の大峰山系、飛鳥の付近では談山神社のある多武峯にも産出します。花崗岩は緻密で硬度が高いため、石材としては重宝され、後世にも寺院の基壇や城の石垣として使用されています。いわゆる御影石も花崗岩です。

瓦を焼く技術の発展、瓦を載せる建物を建てられるようになったことは、やはり大きな進歩だったのでしょうか。

このような展開を通して、徐々に古代人の自然認識が変質していったとすれば、やはり大きな変化でしょう。瓦の大量生産、それを載せることのできる木材の伐採、それらが藤原宮造営で可能になったとすれば、以降の時代においても前代ほどの心理的抵抗なしに開…

須恵器の材料となる粘土は、窯の周辺から得ていたのでしょうか。

基本的には、窯周辺の粘土を用いたと考えられています。よって、各地域の遺跡から出土する須恵器がどこの窯で焼かれたかなど、形状や叩文など視覚的に確認できる特徴のほか、蛍光X線分析による胎土の調査が決め手となっているのです。環境負荷の観点から考…

古代から存在する「鬼」について興味があります。今では妖怪のようなものを思い浮かべますが、古代でもそうだったのでしょうか。中国では「魂」といった意味であったと聞きましたが。

中国で成立した「鬼」という文字自体、朽ち果てた頭蓋骨と肢体の残骨を象形したものです。中国古代ではこの頭蓋骨に霊を呼び寄せて祭祀を行い、それを立てておく台の木主が、やがて位牌に姿を変えてきました。ゆえに鬼とは屍体、転じて死霊を総称する言葉と…

昔はよく「日照りで作物ができない」ことがあったようですが、現在では、作物に影響するほど雨が降らないことはあまりないように思います。昔と今とでは、やはり気候もずいぶん違うのでしょうか。

農業技術の向上や品種改良、輸入や備蓄によって、表面的には不作の甚大な影響を免れることはできていますが、現在でも天候によって農業に被害の出ることは多くあります。記憶に新しいのは平成5年(1993)の大凶作で、大規模な冷害や台風被害が原因となり、…

蘇我氏の仏教儀礼で雨が降らなかったということは、仏教の権威がまだ充分ではなかったということでしょうか。

確かにそうした見方もできますが、ここでは蘇我氏批判/天皇称揚の恣意が強いと思います。また、仏の力より天皇の神的力の方が上であることを示さなければならない政治情勢もあったでしょう。それは皇極朝のことというより、恐らくは天武・持統朝の課題で、…

男の孝徳より女の皇極の方が先に即位していますが、この頃の王位継承の基準は何なのでしょう。

これは難しい、現在でも女帝の位置づけをめぐって議論の絶えない問題ですね。古代において女帝が即位する際には、皇族やその依拠勢力である豪族どうしの間で充分な折り合いがつかない情況にあるとき、前天皇の皇后としてその調整役を果たすべく皇位に就く場…

民衆は、皇極天皇と斉明天皇が同一人物と知っていたのでしょうか。

大事な視点ですね。どの程度のスピードで、どの程度深く認識していたかは分かりませんが、古代の民衆にも天皇の個性に関する情報はある程度伝わっていたものと思われます。それは、各国の地理や産物、伝承などをまとめた『風土記』に、固有の天皇の伝承を持…

『日本書紀』が天皇によって記述態度を変えているのはなぜなのでしょう。書き手が朝廷側である以上、民間の評価を無視して天皇を賞賛すればよいと思うのですが。 / 『日本書紀』は天皇権力の偉大さを示すものなのに、どうしてわざわざ神や自然の脅威を描いたのでしょうか。

ひとつには自然崇拝を基底とした古代人の宗教的心性、もうひとつには中国的な歴史叙述のスタイルの踏襲によるものでしょう。『書紀』が史書である証ともいえます。前者については、天皇は自然神を超越した存在を志向していながら、その宗教的権威も自然神崇…

『日本書紀』における大化改新の記述の信憑性はどれくらいでしょうか。

これは古代史における大論争が繰り広げられてきたところですね。現時点では、改新の諸政策については実効性の疑わしいもの、記述に粉飾の目立つものがあるものの、乙巳の変のクーデターと、それに連動する政治改革が行われたこと自体は否定されていません。…