2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

イースター島の人たちは、森林を伐採してまでモアイ像を建てることが馬鹿げているとは思わなかったのでしょうか。

イースター島の人々が、神への贈与や蕩尽を続行することこそ、自らの生活の繁栄をもたらすと考えていたとしたらどうでしょう。いかなる犠牲を払っても像を建立し続けることが、彼らにとっては、幸福と安定へ続く唯一の道だったのかも知れません。これほど社…

デュルケム『宗教生活の原初形態』によれば、宗教の源泉は社会である。儀礼や崇拝を通し自分たちの社会的ネットワークを強化する役割を持つ。私は神の意志だったり幽霊のような非科学的なものはまったく信じていないため、どうしても斜に構えてしまうのだが、神という存在は人間が語り継いできた過程で構成されたもので、人間の都合の良いものになりさがってしまうように思う。しかしなぜ人はそれを信仰するかといえば、その中身が何であるか誰も知らないこと、語ることでしか現れないからこそ価値があると考えるからだと思う。

デュルケムは心理学的個人主義との戦いのなかで、集団の学としての社会学を構築しようとしてきたので、上記のような議論になります(彼の活躍した時代情況を考えなければなりません)。私もデュルケムは好きで、論文を書いたこともありますが、現在の人類学…

私は「縁」とは偶然ではなく必然であると思いました。原因があり、その中で働いている間接条件は、結果を出すためのものであると思います。

仏教では、普通の人間では原因を原因と認識することも、結果を結果を認識することもできないと考えますし、ある原因から何らかの結果を導き出すのは自分の力ではできないと説きます。例えば、浄土真宗を開いた親鸞は弟子に、「お前は、人を殺せば極楽往生が…

仏教・本覚思想の部分が少し理解しきれませんでした。つまり現実を真理でないと否定しながらも、その一つ一つに真理及び仏がいるということなのでしょうか。

仏教も他の宗教と同様に、本来的には現実世界を「虚仮」と捉え、仏法のみ真理であると説きます。しかし、インドから西域を経て中国に伝わるうちに、宇宙のあらゆる事象を仏の顕現とする発想が生まれ、それが日本において現実=真理の本覚論となるのです。同…

「自然の事物や現象に人格的霊魂を認める」というアニミズムより派生した神道から、天皇という存在が崇める対象として生まれたはずなのですが、なぜ自然崇拝から現人神という発想が生じたのでしょう。

古代の神祇信仰ももちろん自然を崇拝する神道的な性質を持っていましたが(正確には、古代の段階では「神道」とは呼ばないのです)、そうした神格をより高位の神格に従属させ自然を支配しようという傾向も備えていました。森羅万象を平等に信仰するアニミズ…

シャーマンの行う儀式も、自然と人間のある種の一体感を自覚するものと捉えられるのでしょうか。

そうですね。シャーマニズムは、やはりアニミズム的世界観と密接な関わりを持った宗教形態です。シャーマンは動物霊や植物霊と交感し、これらを使役したり、自分の霊魂を飛ばして精霊の世界へ往来することができると考えられています。精霊というレベルにお…

赤が逆に縁起の悪い色とされることもあると思います。私は字で書くときに赤で書くのはよくないといわれたことがあるのですが、これはやはり他界と密接に関わるため、プラス/マイナスの両義性を持つということでしょうか。

上にも書きましたが、そのとおりですね。赤い字で書くといけないというのは、直接的には墓碑の風習に由来するのでしょう。墓碑には存命者の名は朱を入れて書かれ、亡くなると白字に落とされますが、赤字の名には「いずれ亡くなる人」という印象が強いのだと…

赤という色に生命や再生のイメージがあるとのことですが、古代人の感覚と現代人の感覚は異なるのではないでしょうか。

とうぜんそうなのですが、生命エネルギーの象徴とみる思想は古代にむしろ強いのです。狩猟採集社会では、現在でも獲物の血を貴重なものとして扱いますし、各宗教ではそれゆえにタブー視する規制も多く存在します。日本の「血の穢れ」もそうでしょうが、『風…

ベンガラはインドのベンガル地方に由来するとのことですが、インドの女性が額に付けている赤い印も、神と関わりのあるものなのでしょうか。

専門外ですが、髪の分け目に付けるのはシンドゥールといって既婚者の証、額の飾りはビンディーといってヒンズーのシンボル、シヴァの第三の目に由来するようです。人間の額に覚醒の印が生じるのはヒンズー以前からの思想で、仏教でも悟りを開いた者の証であ…

『述異記』逸文の羅根生の話について。神の遊び場があったとするなら、その付近で生活することは許されていたのですか。

史料に「この村の傍ら」とあるように、根生が耕作した土地は、ちょうど神の領域/人の領域の境界に位置していたものと思われます。予め祭壇が立っていたように、そこは村人たちが神に供物を捧げるべき場所で、耕作などしてはいけなかったのですね。当然、村…

テレビ番組を観ていると、スピリチュアル・カウンセリングやその他の占いで祖先が分かるといったことをやっていますが、その根拠はどこにあるのでしょうか。

根拠はありません。メディアや商業ベースに乗るようなものは、大部分は虚偽ですので信じてはいけません。だいたい、人間の歴史のなかで、どういう系統の誰々までを先祖とみるかという認識は、時代や地域により大きな違いがあります。それを一元化していいあ…

屈葬が悪霊の動きを抑制するという説が教科書に載り、有力な学説のように扱われているのはなぜですか。また、動物霊が悪霊化することはないのでしょうか。

なぜでしょうねえ。今まで、別だん支配的な学説であったというわけではないと思うのですが。これは、教科書編者が採用していた見解だったというしかないでしょう。動物霊の悪霊化については、先にも触れた両義性という意味ではありえます。アニミズム社会に…

死者に対する埋葬は、本当に死者への礼儀として行われたのだろうか。それとも、自分たちに死が舞い降りることを恐れて祈ったのだろうか。 / 死という悲しみを解決するために、その方法をみえない異界・他界の理の中に見出そうという気持ちがあったように思いました。確かにそこにいた人が死ぬことを「去る」として、どこへ行ってしまったのか自然界や自らの体をヒントにしてまで問いかけてゆく。道を聞く子供のように純粋な疑問が、骨の配置や儀礼に表れているように思いました。

まさに宮澤賢治と妹トシの世界ですね。文献のない縄文の人々の心性を知ることは容易ではありませんが、惜別と哀悼の気持ちは間違いなくあったでしょう。呪術や儀礼の発端には、そうした個々の情念、感性が大きく関わっているのだと思います。ただしそれが共…

埋葬体形区分の第七・第八地域において、外部から別の葬法が入ってきたとすると、その起源としては中国や朝鮮半島が考えられますが、それらの国々にも特徴的な葬法があったのですか。 / 屈葬についてですが、二分化地域の「海に開かれていたから」という理由に疑問を持ちました。海と接しているのはどこでも同じではないでしょうか。

北九州とそれに連なる瀬戸内〜畿内、東海という地域は、海流などの関係で海の道が通っていたので、外部からの文化が入りやすく、常に異文化接触を生じ複合的な文化形態(いうなればクレオール)を構築していた地域なのです。よって弥生時代、古墳時代におい…

屈葬が再生を祈願し伸展葬が死の抽象化を示すとしたら、時代の経過とともに生きている人間と遺体との距離は遠くなったのでしょうか。

屈葬と伸展葬、どちらの方がよいということはあるのでしょうか。

何を基準に価値判断するかということで、絶対的な良し悪しはありませんね。ただ、屈葬の方が遺体を損壊する確率は高いので、現代的感覚からいうと〈悪い〉ものということになるでしょう。しかし、火葬が損壊の最も甚だしいものでははあるのですが。

動物の種類によって、神聖視されたり災いをもたらすとされたりしたのでしょうか。また、イルカは食用とされたのですか。

文献が残ってくるとはっきりするのですが、縄文時代においては分からないことが多いですね。しかし、一般に神的存在は、力の強いものほどプラスの恩恵/マイナスの災難とも大きいものです。日本の古代においては、神もよく祭れば幸いをもたらし、侮れば災い…

農業を採用したのは人間にとってよい方向だった。より多くの人間が豊かに生きていけるのを可能にした。その中で環境と折り合っていくのか、その方法を探ることが大事である。人間の文明、文化はもはやはずせないと思う。 / 農業は罰ということもできる、という発想は新鮮ながら充分に理解できるものでした。蓄えが可能になったから争いが始まったという理屈も、ある意味罪と罰の形に還元されるのでしょう。ただそれは、詰めていくとその方向に進化した人間そのものを罪とするようで少し怖いです。

現実的には、現在の人類が狩猟採集社会へ復帰することなど不可能でしょう。我々としては、現在の水準をある程度維持しつつ、これ以上環境を悪化させない方法を模索するしかありません(その結果、地球が緩やかに滅びの道を歩んでゆくとしても、です)。しか…

(2) 環境史の課題で出てきた、「日本になぜ欧米に匹敵する生態学的危機がもたらされたのか」という問いの答えがよく分かりませんでした。

結局、日本でも欧米と同じような感覚で環境破壊を行っていたということです。しかも、日本の場合には自然環境に対する依存の度合い(甘えといってもよい)が高かったため、自然に対する責任といった主体的態度が醸成されにくく、歯止めのきかない惨状を招い…

IPCCによる温暖化の報告のところで、海面上昇すると水不足になるとありましたが、温暖化すると逆に降水量は増えるのでは?

温暖化により乾燥化が進む地域も多くあります。たとえば南米アマゾンの熱帯雨林では、2070年頃までにサハラに匹敵する規模の砂漠が出現すると考えられていますし、氷河や山地の氷雪の融解水を利用している地域など、北半球の大半は干ばつに襲われることにな…

マルクス主義歴史学と、マルクス主義社会経済史は違うものですか?

マルクス主義歴史学の、社会経済史分野ということで理解してください。そもそもマルクスの思想は社会学・経済学の古典とされているので、歴史学においてはかかる分野で受容が進んだわけです。とくに歴史学では、マルクスの盟友エンゲルスとそれらの思想を政…

同時代の海外の国々の自然に対する考え方はどうだったのでしょうか。

同時代、とはいつのことを指すのでしょうか。20世紀とすれば、これまで講義でお話ししてきた情況とさほど変わりありません。あくまで、世界のなかで日本はどうだったか、という観点で話をしています。ただし、環境問題に対する意識の向上や実際の対応は、ヨ…

社会のなかで人間の文化や思想が変化するのは明白なので、心性史のような考え方が今までまったくなかったとは考えられないのですが、近年盛り上がっているのには何か理由があるのですか?

心性史の成立と展開については(とくに環境文化研究との関わりに於いて)、以前「〈環境と心性の文化史〉へ向けて」(増尾・工藤・北條編『環境と心性の文化史』上、勉誠出版、2003年)で詳しく触れたことがありますので、場合によってはそちらを参照してく…

我が家ではペットを火葬にすることに抵抗があり、庭の隅に毛布やドッグフードとともに埋葬しています。動物の埋葬に関してはどのようなことがいえるのでしょう。

昨年、愛知県田原市の吉胡貝塚(縄文時代後期〜晩期)で、乳児と子犬が合葬されていたとして話題になりました。狩猟などに使われ人間と親しい関係にあった証拠であるといわれています。しかし、私は少々そういう現代的見方に疑問を持っていて、中国での犬の…

私の祖父のお骨は少量ずつ数ヶ所に分けて納められています。関東ではそうしたことはしないのですか。

分骨ですね。関東でもあります。この慣習を支えるメンタリティーが、仏教の舎利信仰に由来するのか、それとも縄文以来の骨に対する意識に繋がるのか、考察してみると面白い問題です。

骨を遺棄できる関西とできない関東のメンタリティーには、どのような相違があるのでしょう。

骨を遺棄できるから関西は薄情冷淡で、関東は温厚篤実であるということではないでしょう。講義でお話ししたように、京都の存在によって王朝国家のケガレ観が強く浸透した関西では、骨に対する忌避意識も周辺より高くなったのではないでしょうか。また、葬式…

関西と関東で骨に対する穢れの意識が異なるのなら、墓参の習慣にも違いがあるのでしょうか。私は関西出身ですが、毎年命日には親族が集まり墓参りをします。関東ではしないのですか?

これは宗派によって違いがあるのだと思います。しかし浄土真宗に限っていえば、関西では月忌法要も欠かさず勤修しているようですね。京都には本山があり、大阪はもとの寺町でしたから、檀家と檀那寺との結びつきが緊密なのでしょう。関東でも墓参りはありま…

そもそも、死=穢れなのはなぜでしょう。私にとって死者は違う世界へ行った者であり、恐れの気持ちはありますが穢れという観念はないように思います。

穢れとは何かを解明することは、宗教学・人類学・民族学・歴史学などにおける大きな課題なのです。その追究の歴史については、拙稿「ケガレをめぐる理論の展開」(服藤早苗他編『ケガレの文化史』森話社、2005年)を参照してください。日本古代においては、…

熊野では以前に風葬が行われていて、烏に遺体を啄ませており、その際に「ケガレ」「生命の再生に重要な役割を持つ神聖な動物」というイメージが分かれたと聞きました。現在の烏の印象は前者が強く残ったものでしょうが、他にも死体を処理した動物はいたはずなのに、烏のみにそうしたイメージがあるのは不思議です。

烏には、もともと中国から引き継いだ神的イメージがあります。太陽のなかに住むとされた三本足の烏は、そのままタカミムスビの使者であるヤタガラスとなり、神武を導きます。熊野の烏はこのヤタガラスですね。他にも厳島神社など、烏を神もしくはその使者と…

遺棄葬は骨に対する執着があまりないように感じるのですが、中世日本の庶民にとって「骨」とはどんなものだったのでしょう。

詳しくは後日扱いますが、霊魂のメディアとはいえないようですね。ただし、白骨化したあとに洗浄し、拾い集めてもう一度埋葬するという事例もありますので、中世庶民全体が骨に対し淡泊であったとはいいきれません。