2009-01-14から1日間の記事一覧

レポートに関する質問です。

・レポートには、表紙は必要でしょうか?……あってもなくても構いません。皆さんの美意識にお任せします。 ・評価の基準は何でしょうか?……ポイントは4点あります。まず1点目は、講義の内容が踏まえられているか。別に私の話に賛成しろといっているわけでは…

桓武天皇の後継の平城天皇ですが、革新的な政策を行った人とすれば、なぜ高校までの日本史では何もしなかった人のように扱われるのでしょう。桓武天皇が目立ったからでしょうか。

平城天皇が薬子の変で失脚したことや、平城を挟む桓武・嵯峨の評価が極めて高いことが一因でしょう。平城の細かな試みより、桓武から嵯峨へという大局的な整理を行った方が、平安初期の流れを分かりやすく捉えられるからかも分かりません。いずれにしろ一般…

日本は様々に信仰の姿を変えてゆきますが、それは日本が宗教を持っていなかったことと関係するのでしょうか。仏教やキリスト教といった信仰があれば、宗教的なものの見方はあまり変わらないのでしょうか。

日本だけではなく、長い歴史のなかでは、ヨーロッパだって大きく信仰の様相を変えてきているのです。キリスト教が普及した後も、庶民層には深くアニミズム的なものが根づいていましたから、それに沿った祭祀や年中行事が行われ、逆にキリスト教の文化を変容…

特産物を地名に残すのは土地の目印として理解できるが、神の行為を地名に残すことにはどのような意味があったのだろう。神の加護をでも祈ったのだろうか。

例えば「飯盛山」という山名があったとします。実際各地に残る名前ですが、その起源は、山の形が飯を盛ったようにみえたからでしょう。しかし時が経つと、地名の由来としてもっともらしい物語が付加されてゆきます。人々が物事の起源として太古を想像すると…

植物を食べることも殺生なのに、なぜ動物を殺すのに比べ残酷さが薄れるのでしょう。血が出ないからでしょうか。

やはり人間の感受性や想像力は、生物としてのヒトとどれだけ近いかを基準として働くのだと思います。もちろん動物と植物とでは生物体としてかなりの差違がありますから、例えば動物の四肢を切断することと、植物の枝を落とすことを同列には論じられません。…

昔話などでよく人柱の話が出てきますが、人柱はどのように決められていたのですか。

これは人身御供と比較すると、その特徴が顕著にみえてきます。人身御供は神にその体を供犠して捧げるもの、人柱は橋や建物などの文字通り「柱」となって未来永劫支え続けるものです。民俗学者の六車由実氏は、両者の違いについて、人身御供は神を祀る共同体…

動物供犠は人身供犠の代用として行われたというが、それ以前の時代に人身供犠が行われた事実はあるのだろうか。また、人身供犠が動物供犠に変わる契機とは何だろうか。

日本列島で人身供犠が行われていたかどうかは、古くから議論の絶えない問題です。最近では考古学の松井章氏は、高知県の居徳遺跡から出土した9体の人骨に執拗な人為的殺傷の痕跡が認められることから、縄文時代から戦争があった、もしくは人身供犠のような…

地獄の獄卒として牛頭・馬頭がありますが、これも牛や馬の供犠と関係するのでしょうか。

可能性はあります。牛や馬の姿をした水神が仏教へ取り入れられることも考えなければなりませんが、講義でも紹介した『日本霊異記』には、供犠された牛たちが亡者を告発する場面が出てきます。来世は現世とあらゆることが逆さまになっているという信仰は世界…

動物を儀礼の道具にする一方で、何かの象徴として大切にしたり、結局当時の人々は自分たち人間をどのような立場の存在と考えていたのでしょうか。動物に対して自分たちをどう定義していたのですか。

現在の我々の視点でみるといかにも自分勝手に映りますが、彼らは例えばキリスト教のように、人間を他の動植物に秀でた「霊長」とは考えていなかったようです。動物の主神話などから分かるアニミズム的世界観では、人間が動物になり、動物も人間にメタモルフ…

自然のなかにいる神に対して、なぜ自然のなかから動物を捕らえ、それを捧げる必要があるのでしょう。

古代にあっては現在の我々のように、自然=神/文化=人間という二項対立的なものの見方をしていないということでしょう。『書紀』や『古事記』のなかには、神が人間とともに狩猟を競うというエピソードも出てきます。日本の神は自然を支配したり管理したり…

神への供え物としての肉は、供えているうちに腐ってしまうと思うのですが、何が処理しているのでしょう。

中国の『礼記』などの規定に従えば、祭祀の終了後に埋めるなり焼くなりすることになります。しかし時代や祭祀主体の考え方によって、放置したまま何かに食べられるのを待つとか、あるいは神人共食の場で食べてしまうという処理もしたのではないでしょうか。

国文学科で『古事記』を専門にしたいと考えています。今日、『書紀』『風土記』などにみえる儀礼関係の記事をみましたが、『古事記』にはこの種の記載はないのでしょうか。

『古語拾遺』の御歳神への献上物として白猪・白馬・白鶏がありましたが、後世には辟邪の性格を持つ色と思います。飛鳥以前にも色による聖邪の区別があったのでしょうか。

白猪・白馬・白雞自体は、すでに中国文化に犠牲としてみえるもので、恐らく日本の神祇信仰もそれを取り入れたのでしょう。神祇については在来宗教ということで、あまり渡来系文化との影響は大きく語られませんが、実は儒教や道教の影響を多大に受けているの…

御歳神の怒った理由がよく分かりませんでした。

本来まず先に御歳神に捧げられ、その後に耕作者たちに振る舞われる肉を、祭祀を行わず先に人間が食べてしまったということですね。いわゆる神人共食、直会の神事を無視したやり方に怒りを発したわけです。御歳神の子供は、恐らく神事が誤りなく執行されてい…

『古語拾遺』御歳神条に出てくる大地主神とは、オオクニヌシのことですか。また、御歳神はオオドシのことでしょうか。

そうだともいえるし、違うともいえます。ここ20年くらいの日本文学の研究は、例えば『古事記』と『日本書紀』に書かれている神話世界は似ているが違う、ゆえに両者を互いに補完させて「記紀神話」なるものを創り出してはならないという見方を定着させました…

血=穢れという印象があったので、生命の象徴として田畑に撒くというのは意外でした。血が穢れたものと認識されるようになるのは、月経と関係があるのでしょうか?

これは非常に難しい問題です。穢れ観が未成立の段階では、女性の経血も生命の象徴としてみられていたと考えられます。とくに縄文期のような再生信仰の強い時代、女性の子供を産む力と大地の豊穣の力とを重ね合わせ、その象徴として妊娠した女性像=土偶を祀…

農耕の害獣が守護神となるという思想は理解できるが、実際に彼らが田を守ってくれるわけではない。とすれば、害獣を地霊として祀りながら、現実には駆除も続けられていたのだろうか。

続けられていたと思いますが、そこには未だ、精霊を滅却してしまわない限りは殺害にはならない、という論理が働いていたと考えられます。ここから先は宗教学的な解釈論になりますが、イエスが人間の罪を背負う存在としてまさに「犠牲」になったように、鹿た…

縄文期の集落は海辺のものと山辺のものと文化的な差異があると聞いているが、後者における再生の象徴は猪として、前者では何が象徴だったのだろう。

講義でお話ししたように、海辺で捕食される特徴ある動物としては、イルカ、シャチ、クジラなどがあります。これらの骨が、猪の頭骨とともに円環状に配置された例はみつかっていますので、猪と同じような扱いを受けていたのは確かでしょう。しかし個人的には…