2009-05-08から1日間の記事一覧

隼人が呪術的なことに長けていたなら、その起源は縄文・弥生のシャーマニズムにまで遡れるのでしょうか。

直接的な繋がりを求めるのは困難かも知れませんが、当然、列島で培われてきた宗教的知識・技術が用いられていたことは確かでしょう。現在の沖縄やアイヌに古代的な文化が多く残されていることからすれば、可能性は否定できません。弥生のシャーマニズムは鳥…

魔除け・雷避けに緋・丹などの赤色が使われていたのが興味深かったです。秦氏が丹の製造に関わっていたとのことですが、それが呪術用に使われていたと直接書いてある書物などはあるのでしょうか。

朱砂や丹の生産については、次回以降に詳しく説明しますが、「秦氏が生産した朱丹を呪術に用いていた」と直接的に示す史料はありません。ただし、彼らが生産に関与していたことは、鉱山や山地の分布と秦氏の分布の重複、赤染氏など朱丹に直接関わる氏族との…

衢の話は面白かったです。交差点で邪なものを祓う必要があるとのことでしたが、現代でも交差点では事故が多いですね。古代の衢と現在の交差点には、何か繋がりがある気がします。

その通りです。交差点で事故が起こりやすいというのは重要な要素で、様々な文物が四方から行き交う交差点は、現在でも非日常の空間として認識されがちです。そうしたいわゆる境界領域では、人間は幾許かの緊張と不安を生じるもので、現代の都市伝説の多くも…

雷神が人間に虐待を受けるという物語群は、国家の信仰上、問題があったのではないでしょうか。具体的に浸透するのはいつだったのですか? / 性交渉の象徴であり、以前は信仰されていた雷神はなぜ避けられるようになったのですか?

雷神虐待の伝承も、類型としては「神殺し」に属します。講義で紹介した雄略天皇時代の伝承では、雷神は天皇を畏怖させる力を持っていますが、『書紀』推古天皇26年条の伝承では、雷神は「天皇に逆らうことができようか」との宣言を聞いて力を失い、勅を奉じ…

雷がらみの神話が多いのだなと感じた。やはり、人間を超えた自然には畏怖があるのだろう。地震なども大地の怒りと判断していたのだろうか?

災害の発生をどのように解釈するかは、時代によって変遷があります。古い時代にはやはり神の祟りと考えられたようで、『書紀』推古天皇7年(599)4月条には「地震神を祭る」記事が出ています。奈良期に入ると、災害は天子の不徳に対する天の譴責であるという…