2009-06-19から1日間の記事一覧

土壌に水銀が含まれている地域では、住民の生活にも悪影響が生じるのではないでしょうか。水銀中毒に対する治療法は、昔から存在していたのでしょうか? / 水銀を用いた白粉で病気になった人々もいたようですが、彼らは使用を止めようとはしなかったのですか。

江戸時代に用いられた白粉には他に鉛を用いたものもありますが、水銀を使ったものと同じく中毒症状を引き起こすものでした。水銀については、皮膚病や腹痛、梅毒などに治療効果があるとも考えられていたくらいで、中毒の治療法は確立していなかったようです…

なぜ書物によって中津宮の奉斎神が変わってしまうのでしょう。

律令国家の構築した神々の秩序に対する公式見解は、当初、『書紀』神代観の本文に拠っていたと考えられます。しかし、平安期には次第に『先代旧事本紀』や『古事記』の解釈が重要視され始め、その傾向のなかで次々と新たな氏文や縁起が作られ、中世神話の爆…

滋賀の竹生島にも神社が存在しますが、沖ノ島と比べて、人工の有無や面積の大小など相違があります。島の面積という要素は、神自体の力を示すポイントになったのでしょうか。

それはケース・バイ・ケースだと思われます。神々の宿る自然物のいかなる要素を神的とみなすかが、それぞれの神の力の大きさへ結びついてきます。例えば、巨大さに神聖性を認めて神の坐すとみなされた山と山ならば、同じ基準で力の大小を比較することが可能…

沖ノ島で航海の安全を祈ったとありましたが、玄界灘のなかで沖ノ島がそうした位置づけをされたのはなぜでしょうか。

古墳時代には、歴史時代の神社に結びつくような祭祀遺跡が出現しますが、それらの多くは、人間の開発が拡大したその向こう側の領域へ設定されてゆきます。例えば山の神聖視も、弥生期〜古墳期にかけて麓の開発が進むにつれ、次第に禁足地化が進んでゆくこと…

秦氏の職能の多様さは相変わらずですが、彼らは自分の職能に合った地域をどのように探したのでしょうか。

秦氏の個々の集団が自らの意志で生活地を選び取ったというより、王権の側が産業を指定し、それに合った集団を配置したと考えるのが妥当です。問題はどのような集団編成を行ったのかですが、今回からお話ししている葛野秦氏を例に考えてゆくと、どうやら個々…