2009-06-29から1日間の記事一覧
この源流はやはり中国神話で、太陽のなかにいるという3本足の烏を指します。なぜ3本足なのかについてははっきりとは分かりませんが、中国では殷代より、3という数が宇宙の本質を示す基礎的な聖数として扱われてきました。漢代には、それが天・地・人を意…
つまり、都城制を導入して藤原京の建設を始める以前は、唐の長安城についても「自分たちが建設するもの」と思ってみてはいなかったのでしょうね。ですから、天智朝から大宝元年に至るまで遣唐使が中絶していた時期、中国都城の実態については圧倒的に情報が…
この時点では、まだ日本は辺境の蛮族に過ぎませんので、日本の文物への評価は「東夷がけっこうがんばっているね」程度のものであったと思います。しかし平安期に入ると、一部仏教の典籍などでは、「これほどのものは中国にもない」という賛辞を与えられるま…
日本は倭の五王の後南北朝時代に至るまで、中国王朝に対して朝貢という形の外交は結びますが、それに応じて中国的な爵位や王号を賜与されるといった冊封は受けませんでした。一方の朝鮮半島は、常に歴代中国王朝との間に緊張関係を保ちつつ、結局は冊封を受…
中国の正史『旧唐書』は倭国伝と日本伝を併記し、両者の関係について、1)倭国と日本国は別種である、2)倭国が国号を改めた、3)日本国が倭国を併呑した、という3説を挙げています。恐らく、唐でも「日本国を名乗る使節の実態」をよく把握していなかったの…
絶対化したというのは語弊がありますが、建設すべき国家の理想としたということですね。それは、唐王朝の政治・文化がアジアにおけるスタンダードであり、それに準拠しなければ順調な外交を行いえなかったためです。唐の政治・文化を輸入して文明国となるこ…
まずこれらの法令で結髪が義務付けられているのは、あくまで中国的な習俗を身に付けさせようとする風俗矯正です。何度も発令されているということは、宮都に居住した貴族層はともかく、一般にはなかなか法令が浸透しなかったことを意味するのでしょう。シャ…
講義でもお話しましたが、天皇が現御神と位置づけられてゆくのは天武・持統朝以降のことなので、壬申の乱が神の怒りの結果だと表現されたとしてもまったく不思議はありません。また、天皇即神の成立以降でも、神が天皇に祟った事例は幾らでもあります。そも…