2009-07-06から1日間の記事一覧
近年、ぼくの民俗学の師匠新谷尚紀氏が、貨幣は死を象徴する空虚であるという文章を書いています(広瀬和雄編『支配の古代史』所収)。古代日本に初めて登場した貨幣=富本銭は、「富民の本は貨殖にあり」という漢代の思想を輸入したものですから、完全な厭…
ある氏族もしくは共同体において、神婚や神の子の物語は、氏族の長の家が始祖を語る際に用いられる言説形式です。つまり神の子は、自分たちが神の子孫であることを示すために政治的に創られてゆくのです。典型的なのは、『古事記』にも『書紀』にも載る三輪…
もちろん、この違いは意図的なものです。具体的な内容では、例えば天地開闢の描き方があります。『書紀』はアジア的スタンダードの陰陽説に則って、混沌のなかから気の働きによって天地が生まれるさまを記述しています(高天の原は登場しません)。それに対…
流水はやがては海に流れ着き、海は穢れのたどり着く「根の国」に通じているとみられていました。これは大祓の祝詞に明記されていることで、だからこそ呪物や祓物が水路や川に投じられたのでしょう。古来、流水が禊ぎの場として機能していたこととも関係する…
土馬は、講義でも触れたように、自分で走ることができないよう足を折って流します。難波宮跡からは、7世紀に属する最古の絵馬が20枚余り出土していますが、やはり足の部分を折り割ったものが複数見受けられます。当初は、土馬と同じような利用の仕方をして…
井戸は、埋め戻すときにゴミの投棄場所ともなりますが、問題の人形は捨てられたのではなく、あえて水中に投下されたとみられています。これは結局、呪物を土に埋めたり火で焼いたりするのと同じことで、実際に呪詛の対象へ被害を与える霊的存在へ手渡す、他…
土馬や人面墨書土器を使う方法はお話ししましたが、基本的には、祓具に穢れを付着させて流すのが一般的であったと思います。6月・12月に天下の罪・穢れを一掃する大祓では、根こそぎ刈り取った罪・穢れを川、海の神々が運搬して根の国・底の国まで破棄し滅…
寿岳文章氏の研究によると、8世紀には、1日平均170枚、年間で62,000枚の紙が生産できていたようです(『日本の紙』)。この他にも木簡が使用されていましたので、中央官庁の文書行政を支える程度の分量はあったと考えられます。『書紀』や『風土記』を生成…
日本列島の在来的な文化では、女性の王権継承の可能性は、常に排除されてはいなかったのでしょう。七世紀に推古や皇極=斉明、持統が登場するのも不自然なことではなかったのだと思います。大宝律令においても、その現実を踏まえて母系継承が承認されている…
数え歳で22、満20歳。この年齢が、貴族の子弟の出仕する規定の年齢であったようです。
講義でお話ししているように、天武・持統朝の頃から父系嫡系継承が中心的政策となっていたことと、平安期以降、天皇家・摂関家を端緒に家父長制が定着してゆくことと関連があります。8世紀においては、律令によって皇位の母系継承も認められていましたし、…