2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧
とくに長が行うということではなく、一族みな(力の要る仕事は男性)で解体を担ったようです。平等性の強い狩猟採集社会では、信仰の対象であり主要な食物でもある動物を解体するのは、ケガレが忌まれるというより逆に栄誉ある行為でしょう。動物解体業者を…
恐らく、アイヌを縄文人の末裔とする立場から書かれたんでしょうね。その繋がりをまったく否定することはできませんし、近年ではDNA分析の結果アイヌと縄文人は直結するといった見解もでてきています。しかし、木製品は酸化しやすいため、縄文のような古い時…
いろいろいると思いますが、例えば獅子=ライオンなどは、キリストの復活・威光を象徴するものとしても位置付けられ、未だに百獣の王との認識を保持しているのではないでしょうか。貴族の紋章にも多く使われていますよね。
まったく関係がないということはできないでしょう。動物の主神話のある形式が、際限のない狩猟が対象となる動物の絶滅を将来することのないように作成されていることからすれば、絶滅が起こってしまったのは、もともとその種のルールがなかったか、あったと…
やはり熊と対比される役回りでしょうが、熊に比肩しうるほど強力だが、獰猛で忍耐力がない(物忌みができない)動物との認識が現れています。次回の狼に関する講義でも触れますが、中国における虎はヨーロッパにおける狼の相似形で、力の象徴として崇められ…
「三七日」というのは、37日ではなく3×7日、つまり21日のことです。つまり、熊は3週間で人間になったということです。この表現により深い意味があるのか、数字に特別な意味があるのかどうかは分かりませんが、熊が虎よりも人間に近いことを暗示しているの…
ナーナイの熊と人間との婚姻譚ですが、主や王として暗示される熊になぜ女性がなれるのでしょう。婿入りの話もあるのですか? / 毛皮をかぶると熊になれるというのは、インディアンの山羊の場合と同じでしょうか。
農耕社会の成立、王権や国家の成立以降は、神に対する供犠には多く女性や子供が用いられるようになり、祭祀や物語としてもその構図が持続してゆきますが、狩猟採集社会においては女性性を持つ神的存在のもとへ男が婿入りする、という神話も認めることができ…
繋がりますね。亀卜の際にもお話ししたように、動物の骨や甲羅などを熱して占いをする熱卜という方法は、根源的には供犠に起因するものと考えられています。すなわち、火によって神のもとへ送った犠牲獣の残骸である骨に認められる変色、亀裂などが、やがて…
民族社会の絵画はリアリズムで描かれてはいませんので、ものの大きさは実際の大小ではなく、重点や注目度を指すことになります。狩猟紋土器の場合、熊そのものよりも、それを狩猟することに重要性を見出しているわけです。ゆえに考古学の方でも、熊それ自体…
例えば兎などは、自然界の生態系ピラミッド上あまり高くない位置にいると思いますが、日本列島では「神」と崇めた痕跡が認められます。『古事記』のオホクニヌシ神話で有名な稲葉の素兎(シロウサギ)も、同書に「兎神」と表記されており、助けてくれたオホ…
細かな点を挙げれば様々な相違がありますが、やはり大きな点は、それは飼熊送りをするかしないかということでしょう。熊を狩猟した際の狩熊送りは、ニュアンスの相違こそあれ広く見受けられる行為ですが、幼い熊を飼育しておいて殺害するという特殊な送りは…
そういう可能性はありますね。ベジアーゼの側が契約を反故にしたわけで、これは人間の側に何か約束違反があったものとみなし、お祭りなどを行って契約の更新をはかるという形になると思います。日本史上にも時折現れる祟り神の災禍なども、現状の祭祀では神…
チペワイアンの生活しているカナダ北部からハドソン湾沿岸にかけての地域は、夏が短いため、農耕が充分に発達しませんでした。よって彼らはカリブーの肉を主なタンパク源とし、湖や川での漁労、森林での採集活動によってそれを補いつつ生活しているようです…
それは当然あるでしょう。各地の神話や伝承、昔話などには「類話(ヴァリアント)」というものが存在しますが、これはまさに、類似の話で各要素の力点が異なるものなのです。物語として読むと「同じようなもの」になってしまうのですが、その地域で一体何を…
これは大いにあります。大体において、宗教がそれ以前の動物観を取り込み発展させてゆくということになるでしょう。例えば特殊な例でいうと、日本の稲荷信仰が挙げられます。イナリはイネナリ、すなわち元来は穀霊信仰ですが、その使者は狐とされ列島中に認…
「大王家の勢力低下がなければ蘇我本宗家打倒の歴史は描けない」わけですが、乙巳の変が起きる前の馬子の時代に偉大な王を設定してしまうと、馬子との権力関係や功績の評価をどう整理するか難しくなりますし、蝦夷の時代に蘇我本家を滅ぼさねばならないほど…
日本の天皇制は女帝の存在も許容していますので、ほとんど例はありませんが内親王も皇太子になりうるのです。ただし、阿倍内親王立太子の際には、宮廷にも同様の違和感が芽生えたのでしょう(橘奈良麻呂の乱も、藤原仲麻呂の専制以前に、そもそも阿倍立太子…
最近の聖徳太子論争の激化、それを取り上げるメディアのありようをみていると、やはり太子の持つ意味・機能は前近代と変わらないのだなと感じます。ちょうど、日本をとりまく国際情勢は不安定になってきていますし…。
聖徳太子が著したという「未来記」が、中世の表舞台に時折登場してきます。「未来記」は予言書で、とうぜん太子が書いたわけではありませんが、彼が『書紀』のなかで「未然のことを知る」と叙述されていたことに仮託して作成されたのです。例えば、安貞元年…
王権の側が盛んに宣伝したのは確かですが、最も大きな役割を果たしたのは僧侶でしょう。8世紀の早い段階から、官寺に所属する僧が求めに応じて地方豪族のもとに赴き、法会などを執り行っていることは諸史料に確認されます。国家に公認されていない私度僧の…
詳しいことは分かりませんが、恐らくは祭祀や儀礼の次第を反映しているのでしょう。神話は祭儀の折に舞踏や演劇の形で再現されます。その細かな手順が語りのなかに残っていることは考えられます。また、物語の展開として、最も主要な課題を克服するために(…
共同体のなかに生きている神話は、誰かが個人的・意図的に創造したものではなく、長い時間のなかで、その成員たちの持つ世界観・生業意識などを核に形成されていったものです。そこには、世界をどのように把握すべきかという知識や、自然のなかで生き抜いて…
現在でも、100パーセント人間至上主義なのかというと、そうでもない部分もありますが、古代的情況と比べて画期になったのは世界史でいえば大航海時代、そして産業革命でしょう。日本史でいえば、中世後期の大開発が大きな影響を及ぼしたと思います。しかしこ…
これは充分にありうることです。なぜなら、「応仁の乱」自体が過去の事実ではなく、事実に基づいて構成された歴史的概念に過ぎないからです。将来その概念が再検討され、「今まで重視されてこなかったこの事件をもって乱の始まりと考えるべきだ」とか、「乱…
こんなことを書くと怒られるかも知れませんが、正直にいいますと、ぼくは邪馬台国がどこにあろうと強い関心はないのです。その発掘に懸命になっている研究者の方には敬意を表しますが、派閥抗争のようにその所在地を奪い合い、それをメディアが必要以上に煽…
どうしてでしょうね。いま制作中の史学科ホームページの教員紹介の部分に、幼い頃の飼い犬の思い出を書きましたが、どうもぼくにとって動物の印象は、その死にまつわるほろ苦いものが強いようです。今でも一番強烈に記憶に残っているのは、小学生の頃に雛か…
現在でも残っているかどうかは、ちょっと調査しがたいですね。『古事記』を編纂した太安万侶の多氏や、秦氏、忌部氏なんぞはある程度確認ができますが…(未だに宮廷に奉仕していたりしますからね)。ただ、よく誤解されるのですが、蘇我氏は乙巳の変で滅亡し…
これはどうでしょう。馬子や入鹿についてはあらためて検討が必要ですが、別に動物の名前が付いているからといって貶められたことにはなりません。よく夷狄と同じ名前が付いているといわれる蝦夷も、エミシという名称自体、もともとは強力で勇気のある人とい…
確かに「鎌子」は鎌足の別名ではあるのですが、実在の人物とすれば、やはり同一人とは考えられないでしょう。しかし興味深いのは、この欽明朝の鎌子という人物が、中臣氏の系図として一定度の信憑性がある『中臣氏系図』所引「延喜本系帳」には記載されてい…
日常的な生活技術では対処できない事態に見舞われたとき、前近代の人々が、その改善を呪術や宗教に頼ることはよくあることでした。現在でも病治癒の神社・寺院が多くの参拝客を集めたり、そうでなくても毎年各地の「聖地」へ何万という初詣客が訪れることか…