2009-11-10から1日間の記事一覧
現在でも残っているかどうかは、ちょっと調査しがたいですね。『古事記』を編纂した太安万侶の多氏や、秦氏、忌部氏なんぞはある程度確認ができますが…(未だに宮廷に奉仕していたりしますからね)。ただ、よく誤解されるのですが、蘇我氏は乙巳の変で滅亡し…
これはどうでしょう。馬子や入鹿についてはあらためて検討が必要ですが、別に動物の名前が付いているからといって貶められたことにはなりません。よく夷狄と同じ名前が付いているといわれる蝦夷も、エミシという名称自体、もともとは強力で勇気のある人とい…
確かに「鎌子」は鎌足の別名ではあるのですが、実在の人物とすれば、やはり同一人とは考えられないでしょう。しかし興味深いのは、この欽明朝の鎌子という人物が、中臣氏の系図として一定度の信憑性がある『中臣氏系図』所引「延喜本系帳」には記載されてい…
日常的な生活技術では対処できない事態に見舞われたとき、前近代の人々が、その改善を呪術や宗教に頼ることはよくあることでした。現在でも病治癒の神社・寺院が多くの参拝客を集めたり、そうでなくても毎年各地の「聖地」へ何万という初詣客が訪れることか…
正倉院文書には、当代きっての名僧たちが、当時重要視された経典を注釈した書物などが残っています。そこから奈良時代の教学の傾向、水準などを窺うことができるのですが、驚くべきことに、大部分が中国の書物の丸写しになっているのです。奈良時代や平安時…
確かにそうした見解はあります。最近の石井公成さんの研究でも(本年11月に日本道教学会で報告されたばかり)、典拠のひとつに『大品般若経』とその注釈『大智度論』にある「是菩薩用天耳淨過於人耳。聞十方諸佛説法、如所聞不失」との一文を挙げ、聖徳太子…
確かにそうでしょうね。いかに「中華と同じ水準を目指し」、多くの漢籍をちりばめて作成したといっても、その粗雑さ、浅薄さは否定できません。それをあえて主張してしまうところが、8世紀の日本古代国家の限界だったのでしょう。
「八」を聖数と位置付けるのは、何も日本文化だけの特徴ではありません。民俗学者のネリー・ナウマンは、宇宙・世界の数的表象は方角を表す「四」から始まり、それを細分化する方向へ展開すると述べています。仏教でも「八」を聖数化する傾向があり、覚りを…
『史記』世家/孔子世家の記載によれば、前497年、孔子が魯の大司寇に任命されたことを畏れた隣国斉が、魯の為政者を堕落させるために80人の美女からなる女楽を送り込んだ。三桓家らはそれに幻惑され、郊祀という重要な祭祀さえ忘失するようになったため、孔…
日本列島に暮らしていた人々が、なぜ中国王朝によって「倭人」と把握されたのか、自分たちがそう名乗ったのか、あるいは別の理由でレッテルが貼られたのか、そもそも「倭」とはどの範囲・領域を対象とした呼称なのか、詳しいことはよく分かっていません。他…
なかなか難しい問題です。中国では、王朝交替の度に前代の政治のありようが検証され、それが天の意志に沿っていたかどうかを問う史書が編纂されました。歴代の史官たちは、もちろん王朝に奉仕する官僚ではあったわけですが、それ以前に天命に従おうとする意…