2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧
1月初回の講義のときに、実物を持ってゆくつもりです。基本的に、定期テストの際に用いられるB4の表裏に横罫があるもの2枚ということです。
テスト形式のものは返却しませんが、その後にレポートとして提出されたものについては、希望があればコメントを付けて返却します。かなり辛口になると思いますが、希望者は申し出て下さい。
一応は「日本史」の講義ですので、あくまで日本史を中心に論じてください。ただし、比較対象として日本以外の地域について考察するのは構いません。
もちろん構いません。講義では非常に偏った視点でしかお話しできていませんから、まだまだ深く掘り下げるべきところはたくさんあると思います。
基本的に、イエイヌは狼の一部が家畜化され、別の進化過程を辿ったものとみられていますので、犬を飼う習慣の成立以前は、犬を区別することさえできなかった、という不思議な解答に至ることになります。前にも少し触れましたが、イエイヌの多くは狩猟犬とし…
エゾオオカミはタイリクオオカミ(ヨーロッパ・オオカミ)の亜種で、ニホンオオカミより大型の獣であったようです。ヨーロッパ的牧畜を展開しようとしていた北海道にあって、彼らは害獣とみなされ、毒薬による大量駆除や、欧米から連れてこられた家畜から広…
どうなんでしょうねえ。この話題に関しては、公表者であるジョセフ・シング牧師の報告の真偽をめぐって、現在に至るまで議論が繰り返されてきました。最近でも、鈴木光太郎『オオカミ少女はいなかった―心理学の神話をめぐる冒険―』(新曜社、2008年)が、証…
もちろん、グリムやシャルル・ペローの童話に登場する狼は、承前の歴史を踏まえたものであり、当時の狼観を探るうえでの重要な史料でもあります。イソップの「狼少年(嘘をつく子供)」については、アイソーポス作といわれる寓話を最初に集成した前3世紀の…
日本では、狼トーテムの実例をみたことがありません。歴代の王権・政府が米を税として制度化した結果、日本は世界でもいびつなほど米食に偏った農耕文化が構築されてしまいました。山林や海辺の世界には、それらとは異なる文化形態も存在したはずですが、ア…
古典古代の世界観はキリスト教公認当時の支配的文化であり、同教はそれらと結託して教線を拡大してゆきました。一方のケルト的文化は、ローマの政治文化と一体化してガリア、ゲルマンに侵入してきた同教に敵対するものでした。いいかえれば、それら異教を滅…
神話は、神々の活躍によって現在の諸々の事物の起源を説明する言説で、それ故に世界観の根本をなし、法律や倫理の根源としても機能します。これは時代を通じて担う意味が変容するため、近年では、中世神話や近世神話といった言葉も使われています。近代以降…
北欧の神話・伝説に現れる狂兵士ベルセルクは、熊や狼の皮でできたベルトを身に付けていたといいます。日本でもそのような例はみられますが、古ヨーロッパ世界では、自らの強力を誇示するために、狩猟した熊や狼の毛皮を着用することが行われたのでしょう。…
どうでしょうか。そうした視点で考察してみたことがありませんでした。恐らくは希少個体である白毛が重視され、中国文化圏(日本を含む)では祥瑞(王権を祝福する瑞兆)と扱われた例はあるのですが、銀毛はどうなのでしょう。とうぜん、輝くような美しい毛…
いろいろ深い突っ込みをありがとうございました。皆さんのご意見はもちろんなのですが、ぼくは講義でもお話したように、哺乳類・鳥類の肉を回避することで免罪符を得ようとは思っていません。衣食住のあらゆる面で、現代の文明システムは動植物の生命を犠牲…
なまはげは鬼の姿をしていますが、その原義は年の暮れに訪れる神霊です。折口信夫は、これをマレビトと呼び、子孫に幸いを授けるためにやってくる祖霊で、神の原義であると捉えました。なまはげの目的は、囲炉裏の前に長く暖をとっていると足に生じる火斑を…
ヒグマは恐ろしいだけかも知れませんが、ツキノワグマは成獣でも可愛くみえないことはありません。とくに小熊は愛くるしいと思いますよ。
敬語は、神に対する言葉遣いだと考えていいでしょう。熊が言葉を失ってゆくのは、それだけ獣に近づいているからです。『古事記』ではしゃべっていた熊も、『宇津保物語』では沈黙する。その描写が写実的になってゆくぶんだけ、神聖性からは遠ざかってゆくの…
今後の講義で扱いますが、例えばニホンオオカミは絶滅したにもかかわらず、いまだこれを神と崇める神社は存在します。実体が失われると信仰も廃れてしまうと考えがちですが、宗教や信仰とは必ずしもそうした末路はたどらないようです。考えてみれば、日本の…
東北地方で生活する熊打ちを生業とした猟師です。狩猟の方法、生活様式には独特の伝承があります。熊への敬意は重要な要素ですが、近年では興奮や快楽を求めて狩猟を続けるものもあるようです。
上の吉備の伝説では、吉備津彦の連れていた家来は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)の3人で、これがそれぞれ犬・猿・雉のモデルになったといわれます。これには異説も多々ありますが、東北の鬼門と対をなす方向…
昔話は、本来、輸入された外国の話型や歴史上の事件などがもとになり、語り伝えられる地域の固有の事情を盛り込んで成立してゆきます。時代や社会のありようが変わればその形式も変化しますし、それが地域から切り離され国家や王権の語るものになってゆくと…
古代の神祇信仰の祭式には、散供といって、酒や米、切木綿などを撒くものがあります。これは、稲を生育させるエネルギーである〈稲霊〉によって、祭祀対象となる神霊を活性化し、邪気を払う呪術です。豆を撒くのも同じ発想でしょう。歴史的には、室町時代の…
表示に十二支を使うという点では共通していますが、それ以外は鬼門、丑三つ時の関連性はないでしょう。鬼門の起源は漢籍にあり、『山海経』逸文や『神異経』に東北の鬼門の存在が語られています。陰陽道では、太陽のない北、太陽の沈む西は陰、太陽の昇る東…
もちろん、狩猟採集社会では食べていたはずです。現在でも、東北・北陸などには熊肉を使った料理があり、普通に熊鍋の食べられるお店もあるようです。
授業でもお話しましたが、もちろんもっと総合的なものです。素材化はその一要素に過ぎません。簡単にいえば、熊の神聖性を支えていたのは狩猟採集社会であり、その社会を維持・運営してゆくための心性であったわけですから、農耕社会へ向けての一元化が信仰…