2009-12-02から1日間の記事一覧

『古事記』や『日本書紀』でいろいろなものの比喩が出てきますが、そもそもなぜ比喩であると分かるのでしょうか。

そこは、前近代史や神話学、民俗学等の知識の問題で、どれだけ多くの比喩、暗喩、象徴に関する知識を持っているかにかかっています(例えば、上記の回答における矢の象徴の問題など)。それらとの比較を通じて検証し、いかなる比喩であるかの推測がなされる…

史料4で、長屋王の生前と死後では、王の態度のあり方が相違するように思うのですが。死んでしまうと、本人の意図とは関わりなく祟ってしまうのでしょうか。

確かに悪霊になってしまうと、人間であったときのような心身の抑制はとれなくなると考えられた節もあります。日本の古代仏教が模範とした中国の六朝仏教では、疫病をもたらす鬼神も「前世の罪業によって悪身を得てしまったもの」と解釈していたようです。そ…

妖怪なども黄泉国と繋がっていたのでしょうか。あるいは、精霊送りと妖怪に関係はないのでしょうか。

妖怪には様々なカテゴリーがありますが、例えば牛頭・馬頭といった地獄の獄卒などは、明らかに他界のイメージと繋がっています。すでに8世紀の段階で、地獄から死者を迎えに来る獄卒の物語が中国から輸入され、僧侶の布教活動を通じて喧伝されています。ま…

樹木伐採にも送り儀礼があるとのことですが、アニミズム世界を基底にしているとすれば、石などに対しても送りはあったのでしょうか。

石の送りについてはあまり聞いたことがありません。しかし、例えば『続日本紀』宝亀元年(770)二月丙辰条によると、飯盛山より西大寺東塔の心礎に運んだ石が祟りをなしたため、「柴を積みて之を燒き、潅ぐに卅餘斛酒を以てし、片片に破却し、道路に棄」てた…

他界としての出雲と、神が参集する地という位置づけは関連するのでしょうか。

いわゆる神無月/神在月は、中世以降に出雲参詣を勧める御師たちが広めたものなので、古代の他界信仰とは直接関わりがありません。恐らくは出雲大社に奉祀される大国主が、列島に存在した多くの国津神を統べる王であったところから語り出された言説でしょう。

他界への入り口が時代によってコロコロ変わるというのは、いくらなんでも適当すぎるのではないでしょうか。普通このような信仰は、そう簡単に変わるものではないように思うのですが。

コロコロ変わるといっても、少なくとも100年以上の開きがあるのです。朝鮮半島や大陸の文化が激しく流入してくる時期ですから、他界観の変質が起きていてもおかしくありません。また、出雲に黄泉国がある、紀伊に根国があるというのはあくまでヤマト王権の他…

日本でいう黄泉国は、地獄や天国の意味を含んでいるのでしょうか。 / 黄泉国に「黄泉」という漢字が当てられることになったのはなぜですか。

ヤマト言葉のヨミは夜の世界、闇の世界を意味するという説が一般的ですが、「黄泉」の字は中国における地下の泉を意味するもので、漆黒の地下世界という認識から当てられるようになったのでしょう。日本の黄泉はアジアにおける他界と同様、善悪の価値観で峻…

外港としての紀水門が他界への入り口と認識されていたなら、他国へゆくことは他界へゆくことと等しかったのですか。 / 紀水門が難波以前の外港だと分かったのはなぜですか。

例えば、奈良〜平安期の仮想敵国とされていた新羅など、根国から疫病をもたらす疫鬼らの温床とみなされていました。日本を訪れた外国使節に対し入念に境界祭祀が行われるのも、外国と他界を重ね合わせていた証拠でしょう。前近代では外国のみならず、村落共…

熊は魔除けの力があるとのことですが、逆に〈魔〉とされる動物はいたのでしょうか。

代表的なものは蛇でしょう。蛇は縄文期より水に関わる神霊として崇拝されていたことが確認でき(縄文中期の中部地方など、原始農耕が開始された地域で蛇のモチーフを持つ土器が登場します。世界史的に蛇は水との関わりが強いので、農耕における水の必要性か…

アイヌは文字を持たない文化だと聞いていますが、このような伝承は明治あたりまで連綿と伝えられていたのでしょうか?

むしろ正確には、アイヌではどの時代にまで遡れるのかが議論の焦点のひとつになっています。講義でも紹介したのですが、例えば列島における熊胆の流行は近世に始まるので、飼熊送りが熊胆採取と直接的に結びつくものとすれば、イヲマンテは江戸時代以降に発…

矢を射ることが性交渉の象徴なら、他の動物に対しても成り立つのですか?

矢が男性象徴であることは、ユーラシアの多くの神話に共通して見出せます。ギリシャ神話の最高神ゼウスは雷神でもありますが、大地に突き刺さる雷はその豊穣を保証する種付けであり、ヤマト言葉の「いなづま」もそうした認識に基づく名称です。矢を用いた狩…

イヲマンテが異類婚姻をモチーフに行われているというのは、研究者の解釈でしょうか、それともアイヌの人々の内的認識でしょうか?

いい質問です。イヲマンテで祭祀に供される子熊は、講義で引用した神謡にも現れているように、人間を養い親とする存在です。アイヌにも、ナーナイなどと同様に熊を同族とする意識は存在しますので、殺害され子供を奪われた母熊と狩猟者との間には、子熊を通…

熊野にある熊野三社と、私たちの日常のすぐそばにある熊野神社とは同じものなのですか。

主に、熊野詣の流行を通して全国に勧請されたものです。このような例は、八幡、春日、諏訪など多くみられます。

熊野詣は、古い時代の他界への信仰に基づいているのでしょうか。

その可能性は高いと思います。熊野三社は平安期、神仏習合の本地垂迹説のなかで、熊野本宮の家都御子神=阿弥陀如来、熊野速玉大社の熊野速玉男神=薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神=千手観音という対応関係が作られます。すなわち来世を願う極楽浄土…

「熊」の付く地名は、熊がたくさん獲れたという意味なのですか。

もちろん熊の出現や生息に関わりのある地域の可能性もありますが、古代から続く地名である場合は、大部分がクマ=隅の意味で、辺境や周縁を意味したと思われます。九州の大隅や熊襲、授業で取り上げた熊野などもその意味でしょう。日常生活空間の周縁部は神…

熊皮を敷物にするというのは、本当に熊を信仰しているのかと疑問に思った。人間が都合よく利用するために話を作っているだけでは?

講義でも扱いましたが、アニミズム世界では、血や肉、毛皮などは動物の人間への贈り物であり、それ自体が信仰対象になっているわけではありません。贈り物は用途に合わせて大事に使えばよいのであり、敷物にしたからといって熊を冒涜したことにはならないの…

熊は他界を背負っているとのことですが、なぜそのように考えられたのでしょう。

やはりクマ=隅、すなわち境界、周縁を指すというイメージと関わりがあるものと思われます。熊は、境界領域から出現するゆえにクマなんですね。前近代の境界領域とは、他界もしくは他界への入り口ですから、熊は名前自体が他界を体現しているともいえるので…