2010-05-10から1日間の記事一覧
現代的な意味では男女平等といいがたいですが、女性の力が認められていたことは確かです。女帝は中継ぎなどとよくいわれますが、仁藤敦史氏などは、母系継承には法的根拠あると指摘しています。『養老令』 継嗣令/皇兄弟条に「凡そ皇の兄弟、皇子をば、皆親…
確かに、「長屋親王」の方を重視して長屋王の地位の相対的上昇を語りながら、「吉備王子」を表記の揺れで片付けるのは安易かも知れません。しかし、ヤマト言葉をいかなる漢字表記で表すのかという点については、奈良時代前半にかなりの振れ幅があることは確…
残っている史料から判断すると、長屋王は策謀をめぐらせて藤原氏の勢力を削減しようとは考えていなかったようです。彼の派閥は確かに存在しましたが、皇親の長老たる舎人親王や新田部親王は、彼の罪を糾問する側に回りました。彼に娘を嫁がせている阿倍氏、…
確かに、表面的にはそうみえます。しかしここでは、一度発せられれば撤回はありえない(綸言汗の如し)とされる天子の命令が覆され、取り消されたことが問題なのです。また、制度を超越する存在として律令にも規定されなかった天皇(天皇の権威・権力につい…
記録にはきちんと残っていませんが、恐らく少なくなかったと思われます。「基王」にも、何らかの障害があったのかも分かりません。『古事記』や『日本書紀』の神代巻で、列島を産み落とすイザナキ・イザナミが最初に生んだ水蛭子(ヒルコ)は、不具であった…
ハラエやキヨメの儀礼と水とは密接に結びついています。講義でもお話ししましたが、例えば大祓の祝詞は、根こそぎ切り払われた罪や穢れが、風の神・川の神らによって海の神のもとまで運ばれ、最終的に根国に送られるプロセスを述べています。平城京などでも…
補足資料のレジュメを作成しましたので、次回また簡単に説明します。