2010-06-04から1日間の記事一覧

無痛文明は、ある意味で「動物の主」にとって代わったのだと思いますが、例えばキリスト教や仏教で行う食前・食後の祈り・感謝の言葉のなかに、発想としては生きているように思います。

そうですね。「祈りの言葉」については、時代的な変遷もありますし、言葉に込められる意味も様々と思いますが、キリスト教・ユダヤ教の基本的な枠組みは、驚くほど動物の主に似ています。やはり元来は遊牧民の宗教で、供犠を根幹にしているからかも分かりま…

対称性についてですが、「自己」は「自我」がなければ成立しないのでしょうか。思考を持つかどうか分からない「物体」や「植物」は、「自己」や「他」として認められないのでしょうか?

認識のレベルで主体と客体が弁別されることは、もちろん前提としてあるでしょう。しかし、両者の差異を基準に、主体とは「こういうもの」、客体とは「こういうもの」という意味づけが始まりますと、そこには高次の「我」と「汝」が出現してきます。対称性社…

自ら負債を抱え込むのは、人間を自然に対して自ら下位に置く行為のように思えるのですが、それは人間が意図せず造ってしまった構造ということでしょうか。

それこそが、講義でお話しした「相対化のベクトル」で、そうした自己否定を行えるのが人間の不思議なところなのです。また、自然と人間との関係を考えるうえでの、最も重要な鍵のひとつです。

贈与や蕩尽によって象徴的な権力が発生するのは分かるのですが、それは多分に負債を感じる側の「感じ方」如何に関わっているのではないでしょうか。自然と人間との関係に当てはめたとき、少なくとも現代人にとって、どれだけ「負債を感じている」のか疑問に思います。

そのとおりですね。しかし問題は、実は負債を感じる側の「感じ方」にあるのではありません。その「感じ方」を生み出している、贈与の主体と客体との関係にあるのです。講義で説明したポトラッチに即していえば、贈与する側は、相手が負債の念を抱くと分かっ…

狩猟時の感情の変化を分析するのは面白いと思いました。感情というのは、史料からでも研究できるのでしょうか?

80年代以降の日本歴史学に極めて大きな影響を与えたフランスのアナール学派では、心性史・感性史の分野が大きく展開し、人間の感情も重要な対象となってきました。例えば、人間はいかなる対象に恐怖を覚えてきたのか、またその表現はどのようなものであった…

狩猟の思想的背景は重要と思います。最近の『ザ・コーヴ』も、どのような背景で行っているものなのか、ちゃんと考えて映画を撮ってほしいと思います。

もちろんそうですが、そこにはいろいろ難しい問題が隠れています。文化相対主義、すなわちあらゆる文化にはそれぞれ独自の価値があり、その間に優劣はないという見方からすれば、太地町のイルカ漁も捕鯨も尊重されるべきでしょう。しかし、伝統的なものがす…

そもそも狩猟とは、遺伝的行動様式なのでしょうか、それとも文化的行動様式なのでしょうか?

この問題は人類学における重要な議論の焦点です。1960年代頃、レイモン・ダートの「狩猟仮説」と呼ばれる学説が、極めて肯定的に扱われ信じられていました。そこでは、まさに狩猟は人類の「本質」を示す行為で、その効率的な遂行が大脳の発達を促し文明の構…