2010-06-07から1日間の記事一覧

唐は安史の乱などによって衰退してゆきますが、中国を模倣していた日本が独自の路線へ切り替えることになった一番の契機は何でしょうか。

やはり菅原道真による遣唐使の派遣停止が大きいのでしょうが、注意しなければならないのは、その後も中国文化の摂取と消化は続けられていたということです。例えば国風文化は、「遣唐使停止によって醸成された列島独自の文化の萌芽である」との位置づけが一…

中国の「字」の制度は日本に根付かなかったのでしょうか。また、カバネの語源は何ですか。 / 「姓」から名字に移行するのはいつ頃でしょう。

当時は土葬や火葬はどの程度行われていたのですか。

礼に即した中国的葬法が伝わることによって、奈良時代初期には、貴族たちの間で仮葬の風習が広まり始めました(なお渡来人の間では、もっと早く古墳時代末期から、例えば須恵器窯において人間を火葬することが行われていたようです)。中国風の墓誌を伴った…

中国では、美女に心を奪われ政治を顧みなくなった皇帝を改心させるため、美女を殺してその腐乱過程を絵に描き、皇帝へ送ったとの話があります。日本ではそのような使い方はしなかったのでしょうか。

そういう話は残っていませんが、ご指摘の内容も僧侶の使用の仕方としては理に叶っています。中国の著名な僧侶の伝記集である『高僧伝』には、「女性を死体として認識する」死想観を実行し、美女や美女に化けた鬼神の誘惑から逃れたという話も出て来ます。い…

人道不浄相の例え話について。光明皇后がそのように話に出てくるということは、彼女の仏教信仰は後世の人々に知られていたということですか?

そうですね、光明皇后の仏教信仰は中世以降も説話化して流布していました。最も有名なのは東大寺二月堂の湯屋に関するもので、光明皇后が貧窮者・病者へ施湯を行った際、自分が罹患するのも厭わずに口吸いで血膿を除いたハンセン氏病患者が、実は薬師如来で…

斎王がアマテラスに仕えるということは、当時の天皇家に何かメリットをもたらしていたのでしょうか。 / 井上内親王は結婚しているようですが、斎王は結婚できたのですか。

『日本書紀』に記された宮廷の内的理解では、アマテラスはもともと大王の宮殿内に祀られていたものの、その力の強さから大王の身心を疲弊させたため、祭祀場所を探して最終的に伊勢の地へ辿り着いたということになっています。斎王は、本来ならば天皇が実践…

五節舞が礼楽思想に基づくとすれば、民はその舞をみることができたのでしょうか。 / 現代の私たちが、このような宮中の儀礼をみることはできるのでしょうか。

阿倍の五節舞は、あくまで支配層の皇位継承に関する合意を得るためのものですので、内裏で公卿を招いて行われた宴において演じられ、一般民衆はみることができませんでした。現在の宮廷行事では、大嘗祭において5人で舞う形が伝えられていますが、やはりほ…

阿倍皇太子は、五節舞を舞ったとき何歳だったのでしょう。

26歳でした。もうけっこう立派な年齢です。

女性皇太子を肯定する情況を作り出すため、史料16のような文書を流布させたのですか?

これは文書ではなく、阿倍皇太子が五節舞を舞った場において、天皇や太上天皇の言葉として宣布されたもの、つまり口頭説明?です。その場に集った「群臣」たち(公卿)に、その舞の意味するところを明確に示したというわけです。

なぜ女帝の存在が認められているのに、女性皇太子は問題視されたのでしょう。男尊女卑の思想は仏教が入ってきてからですか。 / 安積親王を皇太子にするという話はなかったのでしょうか。

女性の皇位継承はもちろん先例がありますし、母系継承も律令では認められていました。しかし、王位継承が大王・天皇の「男子」を優先に行われたことは間違いありませんし、皇太子は、天皇の死後における継承の混乱を予め回避するために創出された地位ですの…

皇太子という地位は律令体制成立後とのことですが、次期天皇の地位が律令に規定されていたとするなら、この時代から既に日本では王と法で制限することが実現していたのでしょうか。

残念ながら、天皇に関する規定は律令にはありませんでした。やはり、法は王のもとで臣民を統制するものと位置づけられていたのです。しかしそれはあくまで制度上のことで、現実には、律令法は天皇の活動を規制する力を発揮しました。その画期が、以前にお話…

遷都前の藤原京の地形は、南から北に向かって低くなります。平城京は北高南低の地です。このような占地の変化は、礼的秩序の導入と関わりがあるのでしょうか。

もちろん関係があります。ご承知のとおり、天子が南面している北側は南より高くなければなりません。藤原京は東南方向から西北方向へ傾斜してゆく地で、平坦面を確保するだけでも大規模な整地を必要としました。おまけに宮城が作られた周辺は低湿地でしたの…