2010-07-05から1日間の記事一覧
夢枕獏の小説は、史実や説話を題材にしていますが、それ自体は徹頭徹尾フィクションであると考えていいでしょう。岡野玲子の漫画も上記小説を原作としていますので同じですが、後半から段々と原作を離れ、スピリチュアルな方向へ向かってゆきます。一般の読…
畿内周辺における行基の人気は大変なものであったようなので、国家としては彼を登用し仏教界の頂点に据えることにより、仏教国家建設の諸事業に対し民衆や新興豪族の協力を得ようとしたのでしょう。事実、大仏造営事業等に対して多くの地方豪族が私財を投入…
行基集団を考える際、都市における大規模な乞食行を主要な活動として弾圧を受けたものを第一次集団、畿内各地で社会福祉事業を展開したものを第二次集団と捉える立場があります。両者は活動の内容はもちろん、集団の構造や組織性においても大きく異なってい…
当時の和泉や河内周辺では、複数の僧侶が民間で活動していたことが確認されており、なかには行基集団と競合する勢力もあったようです。しかし特筆すべきは行基の師ともいわれる道昭で、彼は唐へ留学して日本列島へ初めて一切経をもたらしたうえ、交通施設の…
当時の平城京周辺の交通路上では、都市造営の現場から逃亡した役民や、貢調運脚夫として上京しながら行路で疲弊した者など、多くの窮乏者がみえました。布施屋は、基本的にはそうした人々への治療や施食を目的とし、都市での大規模な乞食行はその財源確保の…
「額田王」は、額田氏に養育された王女なのでこのように呼ばれたのでしょう。血縁的繋がりはありませんが、額田王を受け入れていた一族が、道慈の出身氏族であったという可能性はあります。
僧綱は治部省玄蕃寮に所属し、僧尼名籍と寺院資財の管理、戒律による僧尼の教導や教学の振興、得度・授戒の手続関与などを行います。僧尼の統括が職務ですので、それ自身に政治的発現の権利は含まれていません。
『日本書紀』編纂論の一般への水準を示す森博達『日本書紀の謎を解く』(中公新書)によると、例えば「憂」や「愁」といった漢字はヤマト言葉ではともに「うれふ」と読み、同じような意味・用法で用いてしまいますが、漢文では異なる意味・用法を持っていま…
律令制では、基本的に、功績のある家々の伝記が式部省に集められ、編集・保管されることになっていました(職員令式部省条)。また、時折朝廷から臨時に命令が出され、家々の歴史が提出される場合もあったようです。それらが編纂官によってまとめられ、国史…
国史の編纂は、通常は律令制官司の図書寮などが担っていたほか、臨時に撰国史所などの専当官司が設置され統括する場合もありました。それらは四等官制を基本に官僚を従えていますので、いわゆるトップの名の知られた人々だけが記述をしていたわけではないだ…
聖典の編纂のあり方はキリスト教の場合とも似ていますが、まず釈迦が語った言葉はその時点では記述されず、弟子集団のなかで伝聞の形で受け継がれていました。しかし、十大弟子の1人とされる摩訶迦葉の呼びかけによって第一次の編集会議=第一結集が行われ…