2010-07-09から1日間の記事一覧

三森山のお堂に四天王の名前を書いた幡が立っていましたが、生と死の狭間に四天王を祀るというのはどういう意味があるのでしょう。

とくに、四天王であるということと、死者の世界の入り口であるということに、繋がりを見出しているわけではないのだろうと思います。それぞれのお堂に安置されている如来を守護する存在として、四天王の幡を立てて飾っているに過ぎないと思われます。しかし…

いろいろ認識を新たにしましたが、それでもやはり供養は生きている人間に対してのもの、という印象は拭えません。

重要な指摘です。原始仏教などはむしろ、宗教は生きている者のためにあると割り切ってしまっており、死後の世界について考えることなどは奨励しません。東の端まで伝わってきたその仏教が、極めて死と密接に関わる様相を呈しているのは、東アジア世界の宗教…

ノリワラが神様の言葉を代弁するというのがありましたが、かなりカルト的なものだと感じました。村の人たちは、本気で信じてやっていたのでしょうか。

必ずしもカルト的とはいえません。なぜなら、あのような神懸かりが、太古から列島に受け継がれてきた祭祀の中核的部分だからです。近現代の世の中になって、村人のなかにはその意味、価値を信じていない人もいるかも知れませんが、それが命脈を保っていると…

金沢の羽山ごもりにおいて、途中に出てくる女性たちやオッカア役の人が口に紙を1枚咥えていましたが、あれは何か意味があるのですか。

ぼく自身ちゃんと調査したわけではないので憶説で述べますが、「口封じ」の自戒であることが考えられます。つまり、言葉を発してしまうと紙が落ちてしまうので、紙を咥えることにより口を封じておくということ。それではなぜ口を開けてはいけないのかですが…