2010-11-15から1日間の記事一覧

東大寺の大仏は尼公へ「坤」の方角を夢告しますが、なぜ南西だったのでしょう。

これは、東大寺からみて信貴山が南西にあったことに拠ります。南西であること自体に特別な意味づけ(例えば陰陽道的な裏鬼門など)はないと思われます。

説話や詞書の最後にある、飛倉の切れ端を神聖視する心性には、樹木信仰の影響があるのでしょうか。また、聖遺物崇拝自体には、民俗信仰の影響がありますか。

飛倉の切れ端については、まったくないとはいいきれませんが、樹木信仰のみを強調して語ることはできないでしょう。神聖さの起源が樹霊にあるのではなく、それが命蓮の奇跡譚に連なるという彼の法力にあるからです。恐らく倉が石造であっても、また粘土造で…

憑坐と審神者のユニットにおいては、どちらが重要とされたのでしょうか。

やはり説得的な物語を生み出すためには、プロデューサー・演出家としての審神者が重要でしょう。彼がいなければトランスも意味をなしませんし、憑坐はただの変人、もしくは病者として社会から排除されてしまいます。しかし、憑坐のトランスが真実味を持たな…

貴族に呼ばれて馳せ参じる験者たちは、庶民の間でも同じように駆り移しや悪霊祓いを行っていたのでしょうか。それとも、形態の違う呪いが一般的だったのでしょうか。

奈良時代以降、民間に多くのシャーマンがあり、また下級の僧侶たちが活躍していたことは、それらを禁止する法令や説話集などにみることができます。駆り移しの厳密な手法が用いられていたかどうかはともかく、憑坐と審神者のユニットは通時代的・世界的な広…

この『信貴山縁起絵巻』は、詞書のラストしかり、信貴山の権威付け、参拝客の呼び集めに目的があったように思うのですが、当時どれほどの範囲で読まれたのでしょうか。

作者や制作環境についても、東大寺や信貴山自体の寺院説、後白河のサロンとする貴族社会説などが並立していますので、明確には分かっていません。ただし、一般庶民に至るまでがまじまじと見つめられるような作品ではなかったことは確かでしょう。しかし、「…

12月の初めにあるテストの準備は、どのようにすればよいですか。

講義でもいいましたが、絵巻を読むための基本的知識を問います。幾つかの技法について説明しましたので、それはちゃんと把握しておいて下さい。『信貴山縁起絵巻』の解釈論や背景説明については問いませんが、幾つかの特徴的な場面については復習しておいて…