2010-11-22から1日間の記事一覧

紫雲はどのような場合に現れるのでしょうか。

とにかく神聖性を表す記号なんですね。例えば英雄や構想が誕生する際に、屋敷の上に五色の雲や紫雲がたなびく、という逸話は枚挙に遑がないほどみられます。

性的な夢の象徴として、「水」「脚」が出てきました。夢を描いた絵も残っていますが、これらのイメージは本当の夢そのままで出来ているのでしょうか。あるいは、ステレオタイプの表象であることはありませんか。

夢に政治性が表れる、夢が後の知識や利害関係によって表現しなおされる、という問題は確かにあります。しかし『蜻蛉日記』の場合、夢は最終的に出家をしてゆくまでの道標なので、宗教的な観点からある程度真実味をもって表現されているとみていいでしょう。…

なぜ、夢に仏意をみる信仰が生まれたのですか。

夢に神意をみる伝統は、東アジアの歴史資料では殷代の甲骨卜辞から確認できる、極めて古いものです。周代には天意を確認し王にサジェスチョンを与える占夢の官も存在し、戦国時代に至るまで活躍しています。秦漢前後から政治的価値は弱まりますが、道教では…

尼公は従者を連れていたと思いますが、参籠の場面では姿がみえません。どうしたのでしょうか。

大仏と一対一の関係で繋がれるため、参籠は独りで行ったとするのが内的な解釈でしょう。物語の展開から考えると、参籠以降の場面は大仏対尼公、命蓮対尼公の構図で描いた方が間違いなく効果的で、そこへ従者が入ってくると読者の注意力が散漫になってしまう…

大仏の前で動き回る尼公が透けるように描かれているのも、技法の1つなのでしょうか。

いやあ、これはどうなんでしょうかね。確かにぼくも疑問に思っていたのですが、動きを示す技法なのか、彩色が禿げてしまったのか…。恐らくは前者だろうと思います。大仏殿の悠久性・不動性を前提に考えると、ちょこちょこと動く尼公が描線のみで表現されてい…

柳の下に道祖神の陰石があることには、何か意味があるのでしょうか。

これは解釈が難しく、また面白い場面です。陰・陽の石からなる道祖神が、それぞれ尼公と翁の傍らに配され、性の問題を暗示していることは間違いないでしょう。それと柳との関係ですが、祠があること、老木であること、立っている場所が衢(交差点。古代の代…

小テストについて

内容は前回お話ししたとおりです。時間は60分、持ち込みは、自筆のノートのみ認めます。講義で配布したプリントは持ち込み禁止。基礎的事項の確認ですので、あまり力まず落ち着いて取り組んでください。