2010-12-06から1日間の記事一覧

詞書が意図的に抜き取られたということはないのでしょうか? / 蛍光X線分析で、他にも分かるようになったことはありますか?

これについては、次回以降の講義で詳しくお話をしてゆきます。

次回の試験は、もともと期末試験に予定されていた内容ですか?

まだしっかり予定を立てていません。ただし、『伴大納言絵巻』を用いて紹介した事柄が、まったく試験に出ないということはないでしょう。

応天「門」という境界を焼くということは、何か深い意味があったのでしょうか。

何者かによって放火されたのだとすれば、その放火という行為、あるいはその焼失という現象自体に、古代的な意味が付与された可能性はあります。中世史の特講をお願いしている中澤克昭先生にも、「自焼没落とその後―住宅焼却と竹木切払」(『中世の武力と城郭…

門は二層の場合、上層は探題のような機能を持っていたのでしょうか。また、平城京は一層だったとの説があるとのことですが、それは二層の必要がなかったということでしょうか。

楼閣建築の門には、仰るとおり、索敵や防備のための「櫓」としての機能があります。ただし、常に戦乱のなかにあった中国の都城に比べ、日本の宮城は権力の荘厳、権威の誇示により力点が置かれていたものと思われます。奈文研の清水重敦さんの単層説はまだ論…

『宇治拾遺物語』で、藤原良房が兵衛府のある朔平門に行っていますが、大内裏図には他にも兵衛府の建物がみえます。別々のものなのでしょうか。

朔平門には、兵衛の詰所としての北の陣があるということです。殷富門の南にある右兵衛府は役所の建物なので、単なる詰所ではなく、機関としての兵衛府を運営するための事務機構なども置かれています。

検非違使の様子を初めてみましたが、普通の武士と区別してそれと分かるような恰好(甲冑など)をしていたのでしょうか。 / 検非違使が行う路次清掃には、どのような道具が使われたのでしょうか。

検非違使の容姿については、特別な着物、甲冑等を着けていたということはありませんが、二条良基『百寮訓要抄』、北畠親房『職原抄』などの書物によると、容儀や富貴のことが別当の条件であったようです。この「容儀」の問題については、丹生谷哲一氏が、断…

『信貴山縁起絵巻』に比べると、デッサンや動きは細かいですが、すやり霞や逆勝手のような場面転換に乏しいと思います。今回観たところだけなのでしょうか? あるいは、画力の問題なのでしょうか?

これからみてゆくなかには、異時同図法や逆勝手、すやり霞も使われていますが、確かに『信貴山』ほど劇的・効果的な使われ方ではないかも知れません。題材にもよるのでしょうが、『伴大納言』は絵でみせる絵巻、『信貴山』は構成でみせる絵巻といっても過言…

『伴大納言絵巻』には下書きがないとのことですが、絵巻における下書きとはどのようなもので、どんな道具を使ったのでしょうか。

道具はもちろん筆ですが、顔料は白色のものを使用しました。日本画の手法としては、「胡粉」を用いるのが一般的です。貝殻を用いた白色顔料で、加工もしやすく、使いやすかったのでしょう。下書を「粉本」と呼ぶ語源でもあります。「胡」は、中国からみて西…