2011-01-18から1日間の記事一覧

インドでは遺体をガンジス川に流しますが、日本では、土葬や火葬にできない人たちが川に流すことはなかったのですか?

平安京の側溝や賀茂川などには、死体が集積されたとの記録が残っています。7世紀末頃には成立したと思われる「大祓祝詞」は、罪や穢れが根こそぎ切り除かれ、川から海へ、そして黄泉国へと送られる文脈になっています。何か日本人の浅薄な環境思想が見え隠…

実際に、身分の高い人で遺棄葬を望んだ人はいたのでしょうか?

死体の遺棄は「捨身行」という自己犠牲の布施行に結びつきますので、そうした観点から望んだ人はいたでしょうが、現実に実行した天皇、貴族がいたとの記録はありません。嵯峨天皇や淳和天皇は散骨をしていますし、浄土真宗の開祖親鸞などのように、「死んだ…

遺棄葬は、仏教の理念において許される行為なのですか?

仏教は現世への執着を解消しようとしますので、死体に執着し、可哀想だとか、あるいは祟られるからといった理由で埋葬を勧めることはありません。むしろそれは煩悩の発露、迷いの結果であると考えるのが、本来の仏教のあり方でしょう。近世の檀家制度によっ…

遺棄葬が一般的だったとのことですが、古墳時代以降、身分の高い人々の死体はどのように葬られていたのでしょう?また、火葬はいつから始まったのですか?

火葬は文献的には7世紀末〜8世紀初めにかけてで、行基の師匠ともいわれる道昭、天皇では持統天皇が最初です。しかしそれ以降ずっと火葬が続いたかというとそうではなく、時代情況とともに変転が繰り返されました。平安時代中期には、遺言によって火葬/土…

九相図をみて無常観をかみしめていた当時の人々、とくに庶民の間には、プリミティヴな死者との別れの儀式、あるいは情感のようなものはあったのでしょうか。死んで抜け殻となった死体への執着があったからこその九相図なのですか?

儒教的世界観では、本来、身体は祖先の遺体なので損壊してはならないという思考が顕著でした。しかし現在の中国、韓国における整形手術の流行をみると、かかる思想のありようは表層的であり、結局人々に「身体化」するような形で浸透してはいなかったのかも…

史料3の「肪チョウ相」に「中有」とありますが、これは法相唯識における「本有」の対概念でしょうか。それともただの文飾ですか。

ここに語られる「中有」は、『倶舎論』に説かれる「四有」のうちのひとつですね。「生有」=どこかに生を得るその一刹那、「本有」=生まれてから死ぬまでの存在、「死有」=生を失うときの最後の一刹那、「中有」=死んでから生まれ変わるまでの中間的存在…

中国では「九相図」は描かれなかったのでしょうか。

アフガニスタンやキジルなどに、「観骨相図」と呼ばれる石窟壁画が残っています。僧侶が人骨をみつめる図像で、主に石窟における瞑想修行に用いられたと考えられています。中国でも、唐宋時代に「観壁画九想詩」と呼ばれる詩文が残っており、同じような瞑想…

今回みせていただいた九相図はすべて女性の死体のものでしたが、男性の死体を描いたものはないのでしょうか。生前の美しさ重視か、あるいは蔑視か、どのような理由で女性のものが多いのでしょう。

確かに、日本に残っているものはほとんど女性を対象にした図柄となっています。むしろ、私は男性の九相図はみたことがありません。講義では少々口が滑ってしまいましたが、『往生要集』では、九相観の対象となる人体を「愛するところの男女」としていますの…