2011-05-16から1日間の記事一覧

「史学史」という学問はあるのでしょうか。

あります。日本では、歴史学の理論・方法論研究自体がなおざりにされる傾向があり、史学史自体も大学者が総括的に行うという「慣習」が存在しますが、近代文化史の領域では若手も積極的に取り組んでいます。近代学問としての歴史学の成立や、民俗学等々との…

宗教の原初形態は、家族内の死者を「祖先の魂」として祀ることで、a)所有の正当性を提示し、b)所有のあり方を安定させるという2つの目的があるそうです。稲作と鉄器の普及によりさらに所有概念は複雑化してくると思いますが、宗教=社会と捉えてもいいのでしょうか?

宗教の原初形態の説明の仕方には、さまざまなモデルがありうると思います。デュルケームは、『分類の未開形態』のなかで、人間の方位カテゴリーの基準となったのはその方面にいる人間集団であると述べていますが、これは、彼が心理学的個人主義との戦いのな…

私の住んでいるところの近く(神奈川西部)にも「真鶴」という地名がありますが、そこにも穂落神の伝承があるのでしょうか。

現在伝わっているかどうかはちゃんと調査していないのですが、鎌倉には鶴岡の地名もありますし、鶴に関連する伝承が周囲に存在した可能性はありますね。現在の依存地名「鶴」には、地形が鶴の翼を拡げた形に似ているなど諸説ありますが、そうした考え方自体…

白・長頚・長脚を必要要素とするなら、穂落神はツルやサギ以外でもよかったのではないでしょうか。 / 白という色は弥生時代から神聖な色だったのでしょうか。だとしたら、それはなぜですか。 / スズメやカラスなどの害獣はどう認識されていたのでしょうか。

私も、穂落神は特定の要素を持っていれば、ツルやサギに限定しなくてもよいだろうと思います。第一、穂落神自体が仮説ですから、そうした見方に束縛されすぎるのも問題です。8〜9世紀の『古語拾遺』という文献に、ホオジロを田における卜占に使ったらしい…

銅鐸の絵画は、当時の人が脚色して描いたという可能性はないのでしょうか。

その可能性はもちろんあります。しかし、単なる落書きから芸術作品に至るまでの現代絵画を鳥瞰しても、そこには時代や社会ごとの特徴や規制が必ず表れてきます。同じような意味で、弥生の土器絵画、銅鐸絵画からも、時代・社会の反映を読み取ることが可能な…

鳥装の人間の描かれた絵が多く紹介されていましたが、実際に女性も司祭として祭祀に参加していたのでしょうか。

ユーラシア大陸には、全般的に、女性が神憑りしてトランス状態のなかで語った言葉を、男性宗教者が日常的な言語に置き直して解説するという宗教文化が存在しました。古代ギリシアのデルポイ神殿でも、神憑りする巫女とその言葉をヘクサメトロンの詩へ綴る神…

古代中国では、青銅器は王や貴族しか使えないものでした。日本も同じなら、すでに弥生前期は階級が分化していたということでしょうか。

講義でもお話ししましたが、弥生時代の青銅器は共同体の所有で、恐らくは稲作に関連して行われたその祭祀は、共同体の祭祀です。弥生の集落には首長の存在が認められ、次第に階級分化が生じていったものと思われますが、あらゆる青銅器を威信財として私有す…

銅鐸を埋めるとき、鰭を縦にするのはなぜですか。

これについては、説得的な回答を見出せないですね。単なる主観的な美しさが要因なのかも知れません。皆さんも想像してみて下さい。

関東地方や東北地方には、青銅器文化はまったくなかったのでしょうか。

まったく出土していないわけではありませんが、西日本のように、青銅器が共同体全体を象徴するような状態にはなっていなかったようです。しかし関東では、例えば鉄器流通が浸透していた地域では前期古墳がみられず、それまでまったく開発されていなかった原…

戦闘具としての武器形青銅器が象徴的なものへ変化したというのは、何か社会に変化が起きたのでしょうか。 / B.C.1cの頃よりA.D.2cの頃の方が、青銅器の分布が銅矛と銅鐸にはっきり分かれるようになったのはなぜですか。

象徴的なものへ展開していったとしても、やはり武器は武器ですので、それ自体が何か社会の変化を反映しているわけではありません。上の回答でも書いたように、武器の本質は辟邪性です。それゆえに神聖視され、共同体のシンボルとなっているので、例えば銅矛…

青銅器は祭器とのことですが、実際の祭祀ではどのように使われていたのでしょう。豊作祈願や吉凶を占う際、シャーマンが祭器に祈りを捧げていたのでしょうか? / 武器という人の命を奪うあまりイメージのよくないものが、なぜ祭祀に結びついていったのでしょうか。

弥生時代の祭祀の具体相については、実はよく分かっていません。考えられるのは、青銅器が神を祀るための道具として必要だったか、もしくは神を勧請する憑代として使用されたということです。武器は、敵を倒し自分を守る道具であるがゆえに、辟邪の象徴とさ…

実際の戦闘などでは、青銅の武器は不便なのでしょうか。

青銅は純銅よりも硬質ですが、やはりしっかりと製鉄された鉄器の方が丈夫です。講義でもお話ししたように、日本列島には青銅器・鉄器がほぼ同時に将来されますので、美しく耀く前者が祭器、丈夫な後者が実用器へ、自然と区別され使用されたのでしょう。

日本の青銅器が銅の含有量が多いのは、日本列島での銅の産出量が多かったということでしょうか。

確かに、文献で判明する古代以降、日本は銅の産出量を伸ばしてゆきます。しかしこの時点においては、お手本として入ってきた中国・朝鮮半島の青銅器に倣ったものと考えられます。中国の青銅器も、発掘されているものはまさに「ブロンズ」色ですが、というこ…