2011-06-10から1日間の記事一覧

前回の授業で疑問に思ったのですが、ウヂ名は、そもそも王権と氏族との関係や国務を表す大切なもののはずです。それを例えば天皇側の意向で中臣→藤原のように変更されるのは、鎌足の側からするとどういう意味があったのでしょう。プラスに捉えられるものだったのでしょうか。

史官の占断は、主に暦や天体運行によってなされると思うのですが、例えば「黄道」などの概念もこの頃に成立したのですか。

右手の方が日常的に使う手で穢れていたとすると、左利きの人間の場合は逆になるのでしょうか。そもそも左利きであることで、差別されるなどのことがあったのでしょうか。

祝官のうちの巫には、どのような神格が憑依するのでしょうか。

学ジ【人+耳】にはどのような人がなったのでしょう。引退した史官でしょうか。

史官や卜官の試験では、どのくらいの割合が合格していたのでしょうか。また、不合格になった学童たちはどうなったのでしょうか。

史官・卜官は、試験の結果に応じて就ける職が異なるとのことでしたが、欠官が出た際の補任の試験で優秀な成績を残した場合、彼の職はどうなるのでしょうか。 / 史官の試験に合格したら、まず自分の出身県の令史にならなくてはいけないのですか?エリートは重要な県に配置されるなどの特例はないのでしょうか。

史官の家では、男女や長男・長女など、継ぐべき子供の決まりはあったのでしょうか。

史官や卜官の各家での教育では、家系内の人が雇用されたりしたのでしょうか。父親に指導を受けたのですか。

史官・卜官の試験では、あまり神秘的な内容は問われないようですが、何か特殊な訓練などはあったのでしょうか。

史官は世襲制とのことですが、史官の成績によって各家のランク付けが為されるなどのことはあったのでしょうか。

史官と卜官が分化したのは、そもそもどのような理由からでしょう。分けなければいけない積極的な意味があったのでしょうか。