2011-06-13から1日間の記事一覧

洛書について説明している研究書はありませんか。 / 『日本書紀』についてお薦めの入門書はありますか。

洛書というと限定的すぎますが、日本語で読める亀関係の文献としては、千田稔・宇野隆夫編『亀の古代学』(東方出版、2001年)、東アジア怪異学会編『亀卜』(臨川書店、2006年)がお薦めです。『日本書紀』については、時間があれば授業でも取り扱いますが…

式盤に繋がってくる中国の亀に対する信仰は、世界が幾重にも重なった亀の甲羅の上にある、といった考え方などとも繋がっているのでしょうか。

そうですね。洛書自体が陰陽和合する宇宙の象徴ですので、亀甲が世界を表現するという各地に広汎に伝わる考え方へ連結します。亀がなぜそれほど世界中で信仰されるのか、考えてみると面白い問題です。

中国と日本でそれぞれ信仰されていた亀は、同じ種類のものなのでしょうか。 / 亀は海で捕まえてくるのですか?

中国殷代に亀卜に供された亀は、クサガメやハナガメといった、それほど大きくもないリクガメでした。日本では鹿卜を経て古墳時代に亀卜を開始しますが、以降近代に至るまで、亀甲にはウミガメのそれを利用しています。それゆえ、ウミガメの産卵地である紀伊…

なぜその「石」が、須弥山が表すと分かるのでしょうか。 / 飛鳥の須弥山石は、夷狄にとってその意味するところが分かったのでしょうか?

『書紀』に須弥山石が立てられた地理的場所と発掘された地点がほぼ同じであること、中国で造られた須弥山の画像やこれを模した香炉、後に東大寺大仏の蓮弁に描かれた須弥山図などと比較すると、紋様や形態に多くの類似点がみつかるためです。なお、夷狄に対…

仏教が国教になってからも、儒教に基づく衣服の色の相違があったように思うが、仏教にも少なからず儒教的要素があったのでしょうか。

天平期の後半から称徳朝にかけては、確かに仏教が国教に近い状態を現出していました。しかし、それは他の宗教を排除する、仏教のみを信仰するということではありません。律令制度は基本的に儒教と法家の思想によって成り立っていますし、神祇に対する祭祀も…

聖徳太子の存在について、どうして彼が論争の対象になるのか分かりません。なぜなのですか。 / 先生自身は、聖徳太子についてどのような立場なのですか。

聖徳太子については、『書紀』に載る関係記事に神秘的な事象が多く、前後の記述における蘇我氏の事績を剽窃したように書かれていたり、中国の典籍や仏典によって様々に粉飾されているなど、編纂者の何らかの意図に基づいて「創作」されたと想定される記事が…

天皇の名前で「神」の付いているものがけっこうありますが、とくに何か意味があるのでしょうか。

天皇の漢風諡号は、実は8世紀の後半に淡海御船が一括して奏上したもので、『書紀』における事績を漢字二字に集約的に表現したものです。例えば、崇神天皇については、その事績のうちに、巨大な祟りをなした三輪神を奉祀し鎮めたこと、自らと同一殿舎に奉祀…

1年くらい前に、斉明天皇の墓と思われるものが発見されたと報道されましたが、何をもって「判明」でしたのでしょうか。

牽牛子塚古墳ですね。二つに仕切られた石室が、斉明天皇と娘の間人皇女を合葬したという『書紀』の記述に一致すること、漆・布を交互に塗り固める最高級の「夾紵棺」の破片がみつかっていることなど、情況証拠は多くあります。最も重要な根拠は、これが7世…

神話ではなく、天皇が実際の歴史に初めて登場してくるのはいつですか。

いわゆる「大王」ではなく「天皇」を名乗ったのは、同時代史料の木簡にその文字が刻まれている天武天皇であったと思われます。7世紀後半には、中国でも一時期皇帝が「天皇」を称し、新羅の王も同様に称したらしい形跡が、出土文字史料より明らかになってい…

治水の作業は、当時どのような人々が行っていたのでしょうか。奴隷でしょうか。

実質的労働力は、奴隷というより、徴発された役民たちですね。支配層のそれは、当時直轄的支配領域であった畿内の民衆から確保されたようです。7世紀の宮殿建設になると、東国などの遠隔地から徴発することも行われてきました。首長への労働奉仕は、後に律…

神殺しは、民衆たちを納得させるためではなく、自分たちの葛藤を押さえ込むために用いられたのでしょうか。

両方の意味があるのでしょう。心性史的な観点からすれば、自然神をコントロールしうる権威を生み出すということは、当時の王権・国家において重要な課題であったはずですが、しかし支配者層も古代的価値観の桎梏から自由なわけではない。通常はその点を自覚…

人柱の伝承は、やはり飛鳥時代の頃から広まったのですか。

いわゆる人柱が、実際に日本列島の歴史のなかで行われてきたかどうかは、柳田国男以来さまざまな議論があります。それは明確な人柱の「遺跡」がみつからないからで、柳田などは「物語の世界だけのもの」という立場を取っていました。しかし、近年の供犠論的…

大化前後から記紀成立に至るくらいまで、王権にとっての難波の位置づけや、ヤマト王権にとってどの時期から難波が大きな役割を果たし始めたか知りたい。

ヤマト王権にとって、難波は外港としての重要性を持ち続けます。孝徳朝や聖武朝の難波宮も、外交や交通との関係においてその機能を発揮していました。ただし、難波津が整備されるのは5〜6世紀の間で、それ以前はやや南方の紀ノ川河口付近が外港の役割を果…

網野善彦氏の『日本とは何か』を読みましたが、「古代日本の文化は西東に大きく分かれる」とあったものの、自然信仰には言及していませんでした。自然信仰に関して、東西の相違はあるのでしょうか。

難しい問題ではありますね。自然環境に注目しますと、ナラ林文化と照葉樹林文化の相違、それぞれが経てきた歴史的情況の相違ということになるのでしょうが…、実をいいますと、ぼくは列島を東/西で分けて考えるものの見方は充分ではないと思っているのです。…

先生は、温暖化がこのまま進んだらどうなると思いますか。

以前に公開されたIPCCによる試算では、京都議定書で設定された二酸化炭素の排出基準をある程度遵守したとしても、確か2070年頃には、東京は現在の奄美大島程度の気候となり、冬がなくなるといわれていたように思います。温暖化の予測はスーパーコンピュ…

地震について質問です。地盤に強い弱いがあると分かりましたが、その差は揺れの大小を生むのですか? それとも液状化や地割れなどの起こりやすさの問題でしょうか。

両方ですね。一般に、洪積台地より沖積低地の方が堆積した時期が新しく、それ故に緩く軟らかであるといわれています。地震の揺れ自体も酷くなりますし、液状化なども起きやすくなります。また、歴史的・社会的条件を合わせて考えると、高燥な洪積台地には比…