2011-06-27から1日間の記事一覧

日本の古い建築では柱に朱を用いていますが、何か意味があるのですか。

古墳時代のところでも勉強しましたが、これは辟邪ですね。基本的には中国の建築様式を踏襲したものですので、中国の塗装の仕方に淵源します。宮廷や寺社などの内部を西域とし、邪なものが侵入してこないよう防ぐ効果が期待されています。

P.33の系譜に名前がカナで表記されているのは、なぜなのでしょう。漢字とカナと、どちらが正しい表記なのですか。

なぜ王名がカナ表記になっているかというと、『古事記』『日本書紀』で用いている漢字が異なるためです。大王・天皇の場合、漢風諡号であれば、奈良時代半ばに一括して撰上されたものなので、1字1字に固有の意味を付した統一的な表記が採られています。し…

『古事記』『日本書紀』を史料として使う場合、どう利用したらよいのでしょうか。

まずは、中国の儒教経典・史書・類書等々の漢籍、仏典に似たような文言がないかどうか調査し、記事の自律性(他書からの援用によって成り立った文章ではないこと)を確認します。また、前後の政治・社会情況からみて自分の扱うくだりに不自然さはないか、作…

『日本書紀』で、外国へ誇示するために書き換えられている箇所は、天皇以外の記事でもありますか?

最初の時間にお渡しした、崇仏論争などがそうですね。私は、日本仏教が中国仏教と同じプロセスを経て隆盛に至ったことを主張する内容と考えています。プリントを確認してみてください。

『古事記』と『日本書紀』は、どちらかが特別に重視されているのですか、それとも対等なのでしょうか。 / 両者の記述の相違はなぜ生まれるのですか。

『日本書紀』が国家の正史として正統的位置づけを受けており、古代においては、『古事記』はその参考書程度の価値しか認められていませんでした。後者が現在のように広く知られるようになったのは、国学が漢字文化の影響を排した原日本の姿を『古事記』に認…

『日本書紀』が対外的な意味を持っているということは、これは朝鮮や中国などへももたらされたのでしょうか。

『日本書紀』自体が舶載されたとの記録は残っていません。しかし、同書は成立当初から律令官人の基礎知識とされ、紀伝道(史学科)の博士による講義が行われています。律令国家のアイデンティティとして共有を図ったことがうかがえます。しかし、遣唐使など…

なぜ日本は、中国王朝のように王朝が交替せず、天皇家のみが王家として存続することになったのでしょうか。

これは根本的な問題ですね。私が解答を出してしまうより、皆さんがぜひ考えてみてください。

継体は迎え入れられたはずなのに、なぜ20年も飛鳥に都をおけなかったのですか。

『日本書紀』の記述ではそうなっていますが、実際には、ヤマト地域との間に大きな政治的確執があったということでしょう。ヤマトの大王家に大きな力がなくなっていたとすれば、それを代表していたのは大伴・物部といった側近や葛城氏系の豪族たちであったと…

継体は「応神五世孫」というキャッチコピーのみで、大王の地位に就けたのだろうか。何か大きな権力基盤はなかったのですか?

継体天皇即位の背景には、息長氏という近江(滋賀県)の有力豪族が存在したと考えられています。息長真手王から敏達、舒明、中大兄に至るラインは息長系なので、蘇我氏を含む葛城氏系と大王の姻戚を競った勢力と考えられます。継体以前の動向は不明ですが、…

ヤマト王権初期の王位継承について、実力を承認するための方法のようなものは存在したのでしょうか。

やはり王権の構成員として一定の責任を果たしてゆくのを、支配者層全員が監督してゆくというあり方でしょう(研修期間とでもいうべきでしょうか)。その過程で補佐として付く豪族などが、即位後の権力基盤を形成してゆく。王子宮の運営から王位継承へ展開す…