2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧
アマテラスについては、斎藤英喜『アマテラス―最高神の知られざる秘史』 (学研新書、2011年)がおすすめです。古代から近現代に至るまで、歴史のなかでアマテラスがいかに変容してきたかをたどる通史となっており、皆さんの持つ一般的イメージは覆されると…
あの弓は、「弩(オホユミ)」ですね。律令国家では各軍団に配備される通常兵器ですが、6〜7世紀の段階ではまだ一般化していませんでした。しかし『日本書紀』推古天皇26年条8月癸酉朔条では、高句麗からの献上品のなかにこの弩がみえます。ドラマでこの…
まず「桃源境」についてですが、「境」には場所の意味がありますが、「辺境」という言葉からも分かるように、周縁という意味があります。「郷」はサトですが、「境」と書くと現実の周縁部にある他界、との印象が強くなります。また桃太郎ですが、お婆さんが…
もちろん、皮革生産の問題は看過できません。しかしそれ以外にも、いわゆる「毛皮」が動物の本質を象徴する部位であり、それゆえに毛皮の着脱によって、人間が獣になり、獣が人間になる神話・伝承が広範に残っていることが注目されます。実は、天女の羽衣な…
編纂における馬子主導が事実とすれば、「天皇記」「国記」には蘇我氏中心の歴史が書かれていたことになります。恐らく、本宗家滅亡後に、蘇我批判の材料として用いられることを懸念したのでしょう。
そのとおりですね。「天皇記」「国記」自体がまったくの虚構という可能性もあります。ただし、『書紀』の文脈では太子主導で作られた書物を蘇我本宗家が所有しているというのは、太子礼賛・蘇我批判の『書紀』史観からすると明らかに矛盾です。恐らく、何ら…
美文を援用して文章を作るのは当時の一般的作法ですから、『書紀』を論じたり講じたりする学者層、一定の文人官僚層には、ある程度引用もとが分かったと思われます。ま、当然個人差もあるでしょうが。なお、『書紀』は当時一般への普及は意図されず、官僚機…
古代には、「武士道」なるものは存在しませんでした。君主へ奉仕しようとする忠誠心や、戦争における倫理性のようなものは、主に中国の兵法書や儒教経典を通して語られてはいましたが、内実は氏族共同体を維持・発展させるためのイデオロギーであったと思わ…
聖徳太子に近い時代でいえば、鉄製の武器と甲冑ですね。古墳時代には、前方後円墳という古墳の形式から銅鏡などが、王権への従属の証拠として下付されていたようですが、倭王権が軍事的色彩を強める5〜6世紀頃には、半島から輸入した鉄で製造した武器・甲…
ひとつ考えられるのは、原史料の相違ですね。『書紀』は原史料にさまざまな粉飾や操作を施していますが、総体的にみると驚くほど粗の多い部分もみられます。太子の名称表記についても、統一的に整理しようという発想はなかったようですね。「厩戸王」ではな…
日本でも、伝道者としての聖人は存在しますが、それ以上に、神秘的な力を発揮する人がその名に値するようです。プリミティヴなことはプリミティヴですが、しかし西アジアやヨーロッパ世界にもそうした傾向は強くあったでしょう。第一、イエス自身が「奇跡の…
その話をされた先生には申し訳ないのですが、まったくの憶説です。根拠も何もありません。
別に、国を思うことが悪いとはいっていません。ただし、古来から続いてきた国のありよう、その自然環境や文化、心性などと、近代の「想像の共同体」としての国民国家を混同してはならない、といっているのです。あなたが誇りに思う国とは、機構としての国民…
うーん、どうも誤解があるようですね。まず、私は「無色であること」を求めているのはありません。機会があれば、歴史学の方法を批判した私の論文を読んでいただきたいと思いますが、私は「無色であることの標榜」をずっと批判してきた人間です。歴史学/歴…
世界的な枠組みでみれば、いわゆるポストモダンの歴史研究も各所で行われています。しかし日本の場合は、ほとんどの歴史学者が上記の議論に参加すらしませんでした(私は参加して論文を書いた一人です。『史学雑誌』回顧と展望で批判されましたが)。言語論…
全体的特徴としては、歌謡がなく訓注も少ないこと、漢文としては倭習がなくα群に近いことなどが挙げられます。面白いのは独特な表記で、他の巻では「大津皇子」「高市皇子」などと書かれる人名表記が、「皇子大津」「皇子高市」と逆転していたりします。また…
『書紀』の編纂が長期にわたって行われ、その時期ごとの古代国家の情況、編纂方針に相違があったことが原因でしょう。α群が中国人によって担われたのは、当時、中国的体裁を持つ史書などの格式ある漢文は、中国人によってしか叙述しえなかったからでしょう。…
森博達説では、続守言・薩弘恪の死亡により作業が中断し、しばらく後に新たな編纂官の任命を得て再開された、との考え方になっています。
記録が確かであり、豊富に存在したところから順次編纂していったのでしょう。雄略より前の時代などは、伝承ならまだしも、「編年」に値するような記録が残っていたとは考えられませんので、ほとんど創作に近いものだと思います。乙巳の変の正当化のうえで問…
『書紀』が成立した時期、すでに高句麗も百済も滅亡していますので、朝鮮半島の国家としては新羅が外交の相手となります。しかし新羅は、白村江の戦いに至る政治情勢のなかで倭国と敵対しており、8世紀にも常に東アジアにおける競合相手として現れてきます…
「中華」とは、固有名詞であると同時に、世界の中心を意味する一般名詞でもあるのです。「小中華」とは、小規模だが当時の中国王朝に匹敵しうる帝国、という意味になりますね。
大山誠一さんは、当時の文明国である中国や朝鮮諸国に対して、まさにその文明を体現する偉人、仏教・儒教を修めた聖人を創り出そうとしたのだとの考えです。ぼくはもう少し限定的に、『書紀』の叙述を「本来」の蘇我氏中心のものから王権中心のものへ転換す…
古代の人々の認識の仕方は、やはり「現代科学」を前提にものごとを考える我々とは違っていたのだと思います。なにごとにも合理性、科学性を追求しようとする我々ですら、スピリチュアルな現象や、占い等々の事象を信じ込んでしまうこともあります。人間とい…
量的な問題より、これから講義でお話ししてゆくように、その質が問題なのです。量でいえば、雄略以前の神武・崇神・神功・応神・仁徳など、聖徳太子よりずっと豊富な記事を持った天皇・皇后たちがいますが、その大部分は創作であり史実とは認められません。
やはりその実在性でしょうね。『書紀』によれば、武内宿禰は280歳もの年齢を生きたことになります。さすがにこれは、伝承であることが明らかでしょう。戦前であればむしろ神聖性を付与されたかも分かりませんが、戦後の「科学的歴史学」では存在が許されなく…
厩戸王が有力な大王位継承者であったとすれば、やはり推古より長生きできなかったことがまず第一因でしょう。当時の大兄制のもとでは、同母集団の長子で宮を経営する大兄が、世代ごとに順番に大王位に即いてゆくことがセオリーでした。基本的に、前王が死亡…
宮内庁が天皇の陵墓として管理していますので、発掘によって彼らの標榜する「歴史」が虚偽であることが暴露されてしまうと、いろいろ面倒な問題となります。よって、今後も発掘は難しいかなと思います。しかし、歴史学・考古学系学会と宮内庁との協議はずっ…
ともに、現実の裁判を反映したものでしょう。閻魔王は、本来はインドの地獄の神ヤマ天で、仏教が中国化する際、官僚制化した中国の冥界と習合したものです。地獄の裁判官は閻魔王も含めて10人おり、彼らによる「十王裁判」で亡者の処罰が決定されます。キリ…
刺繍で作った仏像ですね。タペストリーのようなもので、奈良時代にはそれなりに作られました。2次元で、絵像に近いものです。
レジュメに挙げた『書紀』崇峻天皇即位前紀の記事は、厩戸の功績と一体化したものとして成立を遡らせようとしたに過ぎず、出土瓦等々の分析も含めて、一般的には推古天皇末年の創建だろうと考えられています。