2011-11-23から1日間の記事一覧

大河ドラマなどで、山の木に隠れて相手を攻めたりする映像をみたことがありますが、同じ山でも、戦略的に利用しうるものとそうでないものとが区別されていたのでしょうか。

主に大河ドラマで舞台となるような戦国時代には、中心集落の周辺には草山・芝山が広がっていたものの、まだまだ雑木の森や第一次植生の森林を擁する山々も多かったと思われます。しかし、兵農分離と社会的安定が進んだ江戸前期には、授業でお話ししたような…

古代では中国、現在ではアメリカ、大陸から孤絶しているがゆえの特異な海外への幻想、ナショナリズムこそ、長期にわたって受け継がれている独自の心性ではないでしょうか。

そうですね、確かに海外に対する憧憬は存在します。海の彼方に理想郷や死後の世界をみる海上他界観などは、その典型でしょう。他界から来訪する神は、正しく応対すれば幸福をもたらしますが、邪険に扱うと災禍を及ぼすといわれています。列島に暮らしてきた…

毛皮を着ると動物になれるという思想は、能などで仮面を被ることでその霊性を得るということと、何かしら関係があるのでしょうか。

変身の際に何かを身に付けるのは、基本的に上記の神話的想像力に由来するのではないかと考えています。ヨーロッパ中世の狼男に対する後半資料には、被告の男が変身ベルトを身に着けて狼になるとの一節があり、まさに仮面ライダーではないかと驚愕してしまい…

人間が動植物とトランス・ポジションする神話について、植物への転換はどのように行われたのでしょう。また、植物の場合の「毛皮」は何に当たるのでしょうか?

実は、樹木については、人間が樹木から生まれるとか、人間が人の姿となって現れた樹霊と結婚するとの神話・伝承は多く伝わっているものの、人間自身が樹木に変身するという形式はほとんどみられないのです。日本神話のオホゲツヒメのように、屍体から五穀な…

異類婚姻譚が世界的に存在するということについて、どの地域でも人間と動植物との関係が密接だったと考えてよいのでしょうか?

狩猟採集社会に一般的な神話ですので、例えばヨーロッパでも同様に動植物/人間が近しい時代があったと想定されます。キリスト教が両者にある程度の境界を設定しても、古ヨーロッパ的な心性は民俗として残り、多様な伝説や祭礼を生み出してゆきます。異端審…

気温の寒冷化が集権化や政治の転換に結びつくロジックがよく分かりません。 / 2頁の表の「森林利用」のところに、なぜ「東大寺大仏の造営」があるのか分かりません。

寒冷化が進むと概ね農業の収穫は落ち込みますし、山林から採集できる食用植物・果実・堅果類も減少します。温暖期と同様の人口を保持しようとすれば、技術開発や労働力の集中を行い、収穫力を高めてゆくしかありませんが、そのためには複数の共同体を統率・…

花粉測定以外で、気候などを調べる方法はあるのでしょうか。

例えば各時代の地層の土壌構成から、当時の気候を類推することができます。大阪府、福井県、三重県などの古墳時代の地層からは、「黒色有機質粘土層」という土の層がみつかっているのですが、これは多雨の気候下で形成されることが知られています。つまり、…

日本人の甘えは環境だけではなく、民族的な問題や言語的な問題も大きく関係すると思います。

それはそうでしょう。しかし自然環境は、文化構築の基底に位置するものです。言葉も環境の影響をまともに受けます。衣食住すべてが環境に依存しており、環境が変わればまったく違う姿へ変貌してしまうものなのです。人間の心理も同様です。ちなみに、「民族…

古気温曲線は花粉量で相対的に気温の寒暖を表現しているのであり、季節ごとの気温というより年間トータルの情況を表していると考えてよいですか?

そのとおりです。なかなか、1年を通じての気温の変化などを、細かく割り出すことはできません。

なぜ日本だけが米の文化だったのだろう。やはり土や気候が米の育成に適していたため、日本だけで発展したのだろうか。

授業でもお話しするつおりですが、それは王権や国家が稲を税として定め、庶民に納入することを義務づけてきた結果です。それがなければ、日本にはより環境に即した農業が展開していたでしょう。だいたい棚田など、山の斜面を段々にして水田を構築するなど、…

今、自然も文化財となることが多いですが、人間が作った自然なのか、そのままの自然なのかも考えて決めているのでしょうか。

そのあたりは、ある程度考えられています。例えば世界遺産でいうと、白神山地や知床半島、屋久島などの原生林は自然遺産とされています。「古都京都の文化財」は文化遺産ですが、建築物等のほか、「景観」という概念が含まれています。これは自然と文化が交…

「環境の豊かさへの甘え」とは、「環境が豊かであるという言説」への甘えでしょうか。

うーん、これも深いですね。「自然環境が豊かである」という言説も近代のものでしょうから、上のように表現してしまうと、これも近代的構成になってしまうのでしょうね。より前近代の心性に即していえば、「神仏への甘え」ということになるでしょう。すなわ…

高畑勲監督『おもひでぽろぽろ』と宮崎駿監督『もののけ姫』の対立軸がよく分かりません。

高畑監督は、里山のありようを自然/人間の共同作業として賛美する、という立場です。それに対して宮崎監督は、それは人間の傲慢であって、里山は人間の自然に対する耐えざる暴力の結果なのだという考え方ですね。こんど、授業でも時間を作って説明しましょ…

人間が手を加えない「共生」のあり方など、歴史上確認できるのでしょうか?

上記の質問の回答にも通じますが、ないでしょうねえ。屋久島や白神山地といった原生林も、温暖化や放射能、オゾンホール、酸性雨等々の影響を受けていると思えば、地球上で人間の関与しない自然環境は、もはや存在しないといってもいいでしょう。

「人が手を加えない」ようにするというのも、結局は人為であり、すべては人工的なのではないかと思うのですが、どうでしょう。

なかなか深い意見です。そのとおりですね。授業でもお話しするつもりですが、人間は生活してゆこうとすれば、必ず周辺の自然環境に変質を及ぼしてしまうものなのです。例えば、ある森林地域に人間が居を定めたとして、彼は周辺から利用できる/食べられる植…

里山の存在はだめなのでしょうか?確かに里山は人間の傲慢によって作られたものだけど、破壊し尽くして不毛の土地にするわけではなのだからよいのでは?

最終的な価値判断は、個人の自由で構わないと思います。私が講義で伝えたいのは、里山が自然/人間の共生の理想的な形だと無批判に思い込み、その構築されてくる過程をまったく知らずに、「他国より日本の文化が優れている」と空虚に主張することの馬鹿馬鹿…