2011-12-07から1日間の記事一覧

綱吉の生類憐みの令と、それ以前の殺生禁断令とではどのような相違があるのでしょうか。また、綱吉以前の将軍で、類似の法令を出した人物はいたのでしょうか。 / 生類憐みの令以外で、動物の保護を定めた法令はあったのでしょうか。

徳川綱吉の「生類憐みの令」とそれ以前の殺生禁断令を比べると、確かに、その徹底度の面では大きな相違があります。しかし徳川幕府の歴史をみてみますと、綱吉の法令発布にもそれなりの前段階、文脈の存在することがみえてきます。例えば秀忠期の慶長7年(1…

国分寺創建と殺生禁断との関わりには驚いたが、このような法令は一般庶民に対してどのように伝えられたのだろうか。

律令国家の法令のうち、庶民へも通達する必要のあるものについては、国司から郡司を経て、里長(郷長)などによって口頭で布告されました。また、石川県加茂遺跡から出土しているボウ示札のように、漢文で書かれた法令板が交通の要衝などに立てられることも…

食事の前にする「いただきます」という言葉は、殺生功徳論と関係があるのでしょうか。

一般常識的には、食物の生産者、流通に関与した人々、それを買得し料理してくれた両親に感謝をする、という人間社会のみを対象にした言葉でしょう。しかし宗教的には、食物の本質である生命そのものへ感謝をするという意味が込められています。「いただきま…

史料6では、仁徳天皇が贄を食べるシーンが描かれていないが、それはなぜなのだろうか。

なぜなのでしょうね。確かに、食べることが重要であったのなら、書かれていてもよいはずですが、それはありません。『古事記』や『日本書紀』は、そのなかに古い史料を含むものの、8世紀の産物です。当時施行されていた律令のうち、国家祭祀について規定し…

動物を殺すことのみを罪業と感じ、植物を殺すことには平気な人間のあり方には問題を感じる。人間と近しいものだけにそうした意識があるのだろうか?

草木の伐採を罪業視する見方も、アジア地域には存在します。割合に普遍的にみられるのは、「伐採抵抗伝承」というタイプの伝説で、人間が樹木を伐採しようとすると、樹木がそれに対し何らかの形で抵抗するという内容のものです。伐り口から血を流す、伐り口…

動物愛護活動が盛んな西洋においては、殺生罪業の考え方は存在しなかったのでしょうか。あるいは、アジアとは別のあり方で存在したのですか。

西洋の動物愛護思想の淵源は、例えば『旧約聖書』創世記に書かれた自然の支配者としての人間、あるいはそれを転換したスチュワードシップ(神が人間に対し自然の維持管理を信託したとの見方)の考え方に由来しています。いずれにしろ、牧畜文化の発想で、動…

殺生禁断令の手本になった中国では、日本と比べてどのような情況が確認できるのでしょうか。

私たちが一般的に考える中国文化は漢民族の文化ですが、中国には他に、現在55ほどの民族があります。漢文化でさえ、東西南北の地域によって大きな相違がありますので、中国地域全体のことはとても一括してみることはできません。ある地域・民族では稲作農耕…

いわゆる精進料理は、いつ頃から始まったのでしょうか。

精進料理は、起源的には中国仏教にありますが、日本では曹洞宗、黄檗宗などの寺院で、僧侶の日常食として発達しました。仏教が食べることを禁止していた魚や肉類、香辛料等々を予め除いて作ったものですので、やがて、一般の法事の食事にも転用されるように…

被差別者を生み出してゆくまでになる殺生や肉食への忌避意識は、逆に人間には向けられなかったのですか。人を殺したり、差別することに対しては、罪業感は抱かれなかったのですか。

もちろん人間に対する殺生も罪業視されました。しかし差別に対しては、現代のような人権思想などない頃でしたので、社会的格差、境遇の相違などがあることは当然とみられていたのです。仏教の輪廻思想などは、逆に現状の格差を肯定し、正当化する論理として…

殺生功徳論は、人間に適用されるような思想にはならなかったのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、もともとそれに近い発想が伝統仏教のなかにあったのです。例えば、奈良仏教の代表的宗派である法相宗。薬師寺や興福寺の所属する宗派ですが、彼らが依拠する根本経論の『瑜伽師地論』には、もし対象の生命がこれ以上生きているこ…

「かつては肉食文化ではなかった」とする歴史学者もいたとのことですが、なぜ歴史学者であってもそうした誤りをしてしまうのでしょうか。

どうなんでしょうね、耳の痛い話です。研究者というのは自分の専門以外のことには多く盲目なので、思わぬ「穴」をたくさん持っているということでしょうか。自戒します。

浄土真宗はとくに「悪人」を救済する宗教だとのことでしたが、真宗を信仰する人はみな悪人なのでしょうか?

「悪人」とは、平安期の顕密仏教の位置づけでは「悪人」にしかならない、つまり救済の対象に入っていないということです(自覚の問題でもあります)。しかし彼らのいう「善人」は、社会から隔絶した生活を営んでいない限り実現できない。生き物を殺して食べ…

「何も悪いことをしていないのに、何で私がこんな目に遭わなければいけないのか」と日本人はよくいいますが、こういった思想はどのように形成され、また納得されていたのでしょう。

確かに仏教の影響はありますが、まず仏教伝来以前の中国では、占いの経典である『易経』のなかに、「善い行いを積み重ねた家には、必ず余りある幸いが訪れる。善くない行いを積み重ねた家には、必ず余りある災禍が訪れる」という記述があります。家を単位に…

法が施行される過程で、仏教や儒教と結びついてゆくのは、現代の法社会に生きる私たちにとって非常に不思議である。法に宗教のバイアスがかかっていたのはいつの時代までなのか。

近代法以前の法律概念は、多く宗教思想を根本に置くものが多いですね。法というのは一定の価値観をもって社会を維持するためのものですので、その構成員に共有しうる何らかの思想が必要になってきます。前近代においては、それが、儒教や仏教であることが多…