2011-12-14から1日間の記事一覧

以前に「杜子春」を読んで、主人公の母親が馬に生まれ変わるモチーフをみました。今回の『日本霊異記』においても、ネコが類似のシチュエーションで登場しています。それはなぜなのでしょう。

人間が罪業によって来世いかなるものに生まれ変わるのかは、古代の人々も真剣に関心を示した事柄であったようです。中国の六朝時代には、この問題について直接的に記した『成実論』が翻訳され、当該部分のみに特化した疑偽経典も作成されるに至りました。う…

『日本霊異記』において、どうして父親が猫の姿になったときだけ、息子に追い払われなかったのだろうか。

確かに、犬や蛇のときには追い払われたのに、ネコのときにだけ供え物の食事にありつけたという描写は、何らかの恣意性を感じさせますね。明確な理由にはなりませんが、例えば、ネコが両義性・境界性を帯びた獣ではあったものの忌避はされていなかったこと、…

『日本霊異記』において、広国は黄泉のことを口外するなといわれたのに、なぜ書物にして広めたのだろうか。

面白い点ですね。ひとつ考えられるのは、説話への求心性を高めるための演出であるということです。この説話自体には、広国が本当に神秘体験で得た物語であるという見方と、事実か虚構かはともかく、広国の冥界訪問譚を仏教布教の手段として僧侶が援用したと…

「注文の多い料理店」で、なぜ主人公たちはしわくちゃになった顔がもとに戻らなかったのだろう。関連性がみえない。

狩猟を娯楽として楽しむ、紳士然とした主人公たちの顔は、自然を征服したと思い込んでいる文明の象徴です。それがしわくちゃになっているのは、野生によってそうした文明のあり方が否定されたことを暗示しています。命だけは助かり、文化的生活に復帰した主…

ネコが不吉の象徴のように扱われるのには、何か特別な理由があるのでしょうか。 / 西洋と東洋とを問わず、ネコには霊的なイメージが非常に強いと思います。なぜそうなったのか、何か背景があるのでしょうか。

野生の目線を感じさせるネコは、文化の側に立つ人間にとって、常に自らのポジションを相対化するベクトルを持つことになります。我々の価値観自体を動揺させる存在なわけで、「不吉」とはそうした心性に基づく位置づけなのでしょう。人間の理解を超越した存…

沖縄旅行にいった際、現地の人が口にした、「人間は何でも食べますからね」という言葉が印象に残っています。沖縄などには、本州とは異なる殺生功徳論があるのでしょうか?

北海道や沖縄は、いわゆる本州とは少し印象を異にする食文化が展開しています。それは、食文化を支える生業体系、社会・経済体系の差異によるものと思われます。沖縄は、元来南島的な狩猟採集文化の発達した地域でしたが、その後長らく中国的文化圏に属し、…

個人的な意見ですが、料理をするということが、自ら狩猟=殺生を実践することの代替になるのではないかと感じます。「命をいただく」ことへの意識は、食材に触ることで正しい感覚を養いうるのではないでしょうか。

確かに、生物個体としての原型を留めている「食材」を料理することは、生命について考えるうえでの貴重な機会になるでしょう。日本文化においては、四条流の庖丁儀式をはじめとして、料理を行ううえでの儀式作法が存在する場合もあります。これは、料理が完…

ペットについて、育てられないのに繁殖させてしまい結果的に殺すことと、繁殖されては困るので生殖能力を奪うこととは、後世に遺伝子を残させないという意味で同等の罪であると思います。先生はどう思いますか?

これも深い。生物=生存機械説によって、生物の生存目的を自らの遺伝子を後世に残すことと考えれば、確かに去勢も殺害と同等の意味を持つことになります。しかし、一方でそのような考え方は、生物を種として捉えるあまり個体の尊厳を軽視してしまいがちにな…

自分の罪業を正当化しようという試みは、神が我々の罪を贖ってくれるという思想において達成され、我々は神に負債を負っていると考え始めるに至るのではないでしょうか。

もちろん、自己の罪業の正当化と、神々による救済の考え方は繋がっていますね。詳しくは、私の論文「負債の表現」(『アジア遊学』143、2011年)を参照していただきたいのですが、人間の感じる負債の念は、生存の贈与のレベルと存在の贈与のレベルとで相違が…

「人間の傲慢」というのは、非常に難しいことばであると思う。生きる、生活する、ということにおいて、傲慢でなくいられる時があるとは、私には考えられないからである。

なかなかこれは、深い考え方ですね。例えば、近年のホミニゼーション(ヒトの誕生、ヒト化を考える学問領域)研究においては、自己の欲求・利益を抑制し共生的社会を構築することがヒト化の重要なパラメータのひとつとみられています。ヒトに最も近いチンパ…

レポートの件ですが、脚注・参考文献は字数にカウントされますか?

一応、本文も含めての字数としますが、オーバーしてしまっても構いません。場合によっては、本文を2万字として、脚注・参考文献リストをその枠外として考えていただいても結構です。