2011-12-21から1日間の記事一覧

反切とは、すなわち英語でいうところの発音記号のようなものでしょうか。

そう考えてもいいかと思います。日本の漢文に出てくる場合は、たいてい、『切韻』や『広韻』、『一切経音義』など、中国の音韻辞書からの引用です。

昔の人は、馬を追うときに「ま」、犬を追うときに「そ」と声を発したりしたと聞いたのですが、猫を呼ぶときにも特定の呼び方があったのでしょうか。

直接的な回答にはなっていないかもしれませんが、ネコの語源のひとつに数えられる「ねうねう」という鳴き声は、『源氏物語』においては「寝よう寝よう」、すなわち性交渉をしようという誘いの言葉だと解釈されています。これなどは、猫の特徴を体現した言葉…

一般的な庶民の家が、猫を飼えるようになったのはいつからでしょうか。

院政末期に成立した『信貴山縁起絵巻』には、奈良の都の庶民の家に、紐でつながれた猫の姿が描かれています。平安中期までには宮廷で愛玩されていた猫も、中世が始まる頃には庶民のもとで飼われていたと考えられます。紐飼いという飼い方も宮廷とほぼ同じで…

平安時代の猫のイメージは、例えば日光の眠り猫にも繋がっているのだろうか。また、福を招く招き猫の発想はどこから生じたのだろうか。

眠り猫は、眠ったふりをして鼠を捕まえる様子から辟邪の効力があるといわれたり、猫が眠っていられる太平の治世を象徴しているといわれたりしますが、いずれも、平安時代の猫観からそう離れてはいないと思います。招き猫については、豪徳寺などにその由来が…

猫が化けるときに頭に何かをかぶるのは、何か理由があるのでしょうか。

個人的には、以前お話しした「異類互酬譚」における、毛皮を脱ぐことで獣が人間になり、毛皮を着ることで人間が獣になることの関連ではないかと考えています。猫が人間のような所作をするときには、手ぬぐいでほっかむりをしたり、羽織をはおったりしていま…

猫は、ねずみに騙されて十二支のなかに入れなかったといわれていますが、やはり狐や狸のように怪しい雰囲気を持つため、神に近づく十二支に入れてもらえなかったのでしょうか。

十二支自体は殷帝国より確認できますが、これに動物を当てはめたのは、後漢の王充撰『論衡』物勢篇が初見です。後に、猫が鼠に対し無用な殺生をしたため釈迦が十二支から除いた、鼠に騙されて十二支の競争に参加できなかった、などの話が形成されますが、そ…

『更級日記』の猫の夢ですが、本当に過去の事実として、作者はこのような夢をみたのでしょうか。

それ自体は確認することができませんが、すべてがレトリックであったとしても、猫を「人間の生まれ変わり」とするような認識が存在したことは動きません。むしろ、読者を惹き付けるための虚構であったとする方が、菅原孝標女の想定読者に上記のような認識が…

『源氏物語』では、猫が妊娠の象徴として描かれている部分があるが、それはどういう理由からだろうか。

定説的には、当時、夢に獣をみるのは妊娠の兆だとする考え方があったのではないかとされています。鼠や兎など生殖能力が高い動物は、死と再生のシンボルとみなされるなど、性や出産と関連づけられることが多々あります。猫もサカリの際の行動が特徴をもって…

『宇多天皇御記』で猫を「一隻」と数えていますが、これは獣を数える場合の単位として一般的なものだったのでしょうか?

中国で一般的な助数詞ですね。動物を数える場合には、匹(疋)・頭・隻などが用いられ、猫のような小動物には主に隻が用いられます。

『宇多天皇御記』にある「汝は陰陽の…」といった記述ですが、当時の宗教観を窺うことができますか。畜生は認識主体として捉えられているのでしょうか。

このあたりは、詳しく考えてみると大変に面白いところだと思います。当時の貴族層の世界認識の仕方が、具体的にみえてきます。「陰陽の…」はいうまでもなく陰陽五行説ですが、律令官人・貴族の一般的な教養を示しています。儒教は動物を人間と明確に峻別しま…

宇多天皇の猫を大切にする行為や、道長の猫の産養などは、猫に対する畏れのようなものも関係していたのでしょうか。

史料から充分にうかがうことはできませんが、宇多天皇や一条天皇が、猫の不思議な魅力にとりつかれていたことは確かでしょう。とくに、一条天皇が命婦のおとどに位階を授与したり、道長が人間の通過儀礼である産養を行ったりしたのは、猫が人間の生まれ変わ…

猫は平安時代の宮中で政治的に利用されていたとのことですが、なぜ他の動物ではなくて猫だったのでしょうか。 / 犬や猫以外の動物で、位を与えられたり政治的に利用されたものはあったのでしょうか。

上に答えた質問と重複しますが、やはり外来種のイエネコが希少な存在であり、中国文化を背負った動物であったからでしょう。野にある獣と区別しうるものであったからこそ、雅な位置づけが与えられたのだと思われます。猫以外の動物で位階を授与されたものは…

猫の捉え方がヨーロッパ世界とは対照的な気がしましたが、やはりヨーロッパでも畏怖と愛玩が同居するような認識が存在したのでしょうか?

今後講義でも少しお話ししますが、ヨーロッパ世界においても、長らく猫は両義的な存在でした。古くエジプト文明に始まる神聖化がみられる一方、そうした古ヨーロッパ的な心性は、キリスト教文化においては悪魔的なものとして貶められます。民話的世界におい…

猫に対する印象は、種類によって大きな差異などなかったのでしょうか。

基本的に、前近代の日本で繁殖したイエネコには、現在のように品種改良された結果生じた形質的相違は、ほとんど存在しなかったと考えられます。あったとすれば毛色・模様、尻尾の長短くらいでしょう。ゆえに、あまり種類による印象の相違などは確認できませ…

猫が人間世界に「形代」として組み入れられ、愛でられていたとのことですが、その際に毛色などは何か影響したのでしょうか。

『宇多天皇御記』では深い黒色が愛でられていますが、『枕草子』では白黒の斑がよいとされています。絵画に描かれるのは、やはり斑の猫が多いようですね。いずれにしろ、ヤマネコのような茶褐色に黒縞といった模様より、もっとはっきりした色合いや柄が好ま…

家猫になるのは外来種が多かったとのことですが、野生種より外来種の方が何か優れている点などあったのでしょうか。

宮廷で飼育されはじめたのは、まずはその高級性によるところが大きかったと思われます。金沢文庫の史料で説明したとおり、猫自体が、実は将来されてくる中国文化のひとつに組み込まれていたのです。最先端のものとして重視された中国文化の一端が、猫という…

平安時代に外からもたらされて定着した猫も、「外来種」として扱われるのかと驚きました。それでは、「固有種」とは何なのでしょうか。

根本的な問いで重要ですね。「民族」という概念と同様に、「固有種」という概念も、実は非常に恣意的なものです。「民族」も、肌の色や身体的な特徴などによって自然科学的な概念に思われていますが、アフリカにおける人類の誕生から各地域への派生、交配と…

古代中国の宮廷では、猫は飼われていなかったのでしょうか。朝鮮半島ではどうでしょうか。

中国においても、猫の第一の役割は鼠害の防止でした。猫たちは人間との「共存」のなかで、稲、蚕、書籍などを鼠から守ることを仕事としていたといえるでしょう。中国の文人たちの詩文のなかにも、「狸奴」という標記で、鼠対策で猫を手に入れる様子や、かか…