2012-05-21から1日間の記事一覧
古代日本は、中国儒教の礼の秩序を採り入れて、6〜7世紀から様々な風俗改正を行ってゆきます。しかし、その浸透は上層階級に限定され、一般の人々は長く奔放な性への信仰を保持していたと思われます。古代の文献史料にも、時折、都市や村落で流行した過激…
『日本書紀』『古事記』に載る系譜上の天皇=大王のうち、実在の間違いないのは雄略天皇〜継体天皇前後からでしょう。雄略が倭王武、ワカタケル大王とすれば、その名前は複数の同時代史料に確認できます。しかし継体天皇に至るまでの間は、系譜的に捏造の行…
当時の日本列島に邪馬台国以外にも国のあったことは、『魏書』東夷伝/倭人条によって確認できます。記載があるのは、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国…
樹木の組織が残っていれば、その構造からある程度樹種を特定できるのです。また、講義でもお話ししたように須恵器生産は周辺の森林を伐採して移動してゆくもので、遠方からの薪炭材の運搬は行っていません。そうした労力を投入するなら、森林の近くに登り窯…
確かに人の移動の問題もありますが、墳丘墓や古墳の形式の伝播は、政治的連盟関係、連合関係の証として形式が付与されたものだと考えられています。同じ形式の王墓を持つことによって、同一の政治的グループであることを標榜するわけですね。しかしそのため…
次回お話しする横穴式石室のように、日本の古墳は明らかに大陸、半島の形式を受け継いでいます。横穴式石室自体は半島の発明で、墓室内に様々な壁画を描くことは、中国で流行した形式でした。しかし、前方後円墳に至る展開は列島独自のもので、弥生文化から…
確かに、ピラミッドほどの高さは必要とはしていなかったのでしょうね。あの人工的景観自体当時としては異様で、被支配者へ訴えかけるインパクトは相当なものであったと推測されます。また、その形状自体が神仙的世界を体現しており、宗教的に高度な意味づけ…
天皇家の陵墓の発掘は、管理者の宮内庁によって禁止されているのです。ありていにいえば、発掘によって神武以来の歴史=神話が崩壊してしまうのを防ぐためですね。発掘から浮かび上がる考古学事実によって、皇室や象徴天皇制を支えている『日本書紀』『古事記…
高坏や壺などが出土していますので、何らかの墓前祭祀は行われていたと思われます。それが単なる喪葬儀礼の一種なのか、あるいは神人共食の直会なのか。詳しいことは判明していません。しかし、プロジェクターで映した西谷3号墳からは、吉備の特殊器台・特…
鉄器と同様、すべてのムラで青銅器が製作されていたわけではありません。青銅の材料である銅・錫を大陸・半島から入手しやすい場所(そういった氏族とネットワークが築かれている場所)で、しかも鋳造・加工技術が発達しているところですので、空間的に大き…
まず古代世界あるいは民族世界において、もともと音楽が、神を招く環境を作り出す道具であったことが挙げられます。現在でも、そのジャンルに関わりなく、音楽は一種の陶酔状態をもたらします。シャーマンに神霊が憑依するような心理状態を生み出すのに、音…