2012-06-04から1日間の記事一覧

授業の際にスクリーンに投影されている画像等がほしいのですが、ダウンロードはできますか?

著作権の問題上、授業で扱うことのみが許されているデータもありますので、残念ながら提供できません。レジュメの参考文献リストに掲載のものもありますので、自分で購入するか、あるいは図書館でコピーしてください。

中国の昔話などが気になるのですが、それらはどこで調べられるのですか?

日本の神話や伝承、昔話がどのような原型から派生するのかということは、それ自体が学説、研究成果ですので、簡易に分かるものではありません。ただし、中国の神話や昔話に触れてみたいということなら、幾つか分かりやすい日本語訳が出ています。事典の類も…

都城制は中国起源ですが、日本への伝来については、朝鮮を経由していないのでしょうか。

藤原京を計画・立案していた頃、倭は、白村江の戦いによって対峙した唐・新羅のうち、新羅とは国交を回復していたものの、唐とは断絶状態にありました。ゆえに、藤原京造営のもとになった中国的都城のイメージは、新羅経由で日本にもたらされたと考えられて…

藤原京はどうして藤原京というのでしょう。平城、長岡、平安などもそうですが、誰がどのような意味で名づけたのでしょうか。

藤原京と長岡京は地名を援用したものです。その他の、難波京、大津京、紫香楽宮などもそうですね。ただし藤原京については、史料的には宮/京で呼称が異なります。「藤原宮」という記述は『日本書紀』にあるのですが、実は「藤原京」はなく、研究者が便宜的…

スサノオがヤマタノオロチを退治したということになっていますが、蛇は再生能力の象徴だと考えられていたはずです。にもかかわらず、悪神として殺されてしまってよかったのでしょうか。 / どうしてオロチの尾から剣が出てきたのでしょう。斐伊川周辺の情況と関係があるのでしょうか? / ヤマタノオロチ伝説が飛鳥時代に生まれたとするなら、『古事記』などに出てくる様々な神々は、すべてこの時代に誕生したといえるのでしょうか。それとも、物語の時系列やその他のエピソード、キャラクターなどは様々な時代に誕生し、後にひとつのストーリー

『古事記』や『書紀』に収録された神話については、いただいた質問のとおり、成立した時代や地域も異にするエピソード群が、7〜8世紀にかけて成文化され、改変・編集されたとみるべきです。例えば『古事記』神話に特徴的なオオクニヌシの物語など、彼が幾…

人柱の起源はいつでしょうか。また、考古学的にその痕跡は確認されているのでしょうか。

講義で扱った『書紀』仁徳天皇11年10月条が、一応は日本における人柱の初見史料とされています。しかしよくよく内容をみていると、武蔵の強頚は入水して河伯の生け贄となってはいるものの、「柱」にはなっていません。ゆえに厳密には、人身供犠の史料ではあ…

日本に仏教信仰が広まってからも、「神殺し」の物語は存在したのでしょうか。

存在しました。奈良時代には、温暖化と政府の勧農策のなかで、有力豪族や有力農民層の間に開発推進の気運が高まります。とくに畿内周辺では、溜め池や樋などの灌漑施設を造営する動きが活発化しましたが、その中心には例えば行基などの僧侶がいました。彼ら…

沖ノ島は現在女人禁制になっていると思うのですが、女神を祭祀しているのになぜ女人禁制なのでしょうか。また、神の性別というのはいつ頃から意識されていたのでしょうか。

女神を奉祀していながら女人禁制である、という事例は、実は日本列島に多く見出すことができます。例えば、日本ではかつて、常時女人禁制になっている山、決められた時期のみ女性の入れない山が多くありましたが、民俗的な山の神は女性であることが非常に多…

沖ノ島祭祀と同時期の朝鮮半島や中国でも、同じような祭祀を行っていたのでしょうか?

日本古代の祭祀は、多く中国や朝鮮半島の影響を受けてきました。やがて成立してゆく律令の祭祀規定「神祇令」も、中国唐令の「祠令」に基づき、日本列島の実状に合わせて改変を行ったものでした。狭義の祭祀ではありませんが、例えば古代国家で最も位置づけ…

水の祭祀における権力者の権威と、死生観との関わりとは何なのでしょうか。

湧水点祭祀・導水祭祀自体が、古墳時代の権力者の死生観と関わっているわけではありません。ただし、水田の豊穣を保証する水が、死者の世界とも密接に関わっていたことは指摘できます。例えば、以前に海上他界観を反映していると説明した、装飾古墳の死者を…

祭祀の形式が移り変わるとともに、奉献品を置く場所が変わっていったのはなぜですか。

正確には、祭祀を行う場所、奉献品の種類やその設置場所が変化してきたことで、祭祀の形式が変わったと捉えられるのです。祭祀を行う場所の変化がなぜ起きたのかは、充分な証拠をもって説明することはできませんが、例えば神観念の変化が影響しているのだと…

栃木県の寺野東遺跡にも、導水に関する遺構があったように思います。そこでも水の祭祀が行われたのですか?

寺野東遺跡は、ストーンサークルが祭祀舞台化した「環状盛土遺構」で有名な遺跡ですね。盛土遺構自体は、縄文人が身に付けて祖先や神霊を演じたとみられる仮面なども出土しており、恐らくは祭祀遺構であると考えられます。しかし水場の遺構は、主に堅果類の…

女神の話が出て来て思ったのですが、日本は何がきっかけで男尊女卑になってしまったのでしょうか。

列島の家族文化は、本来は、母系・父系の両方がありうる双系制でした。しかし、古墳時代の中期頃から、中国文化の導入によって父系制が強くなり、家長職も男子相続が一般化してゆきます。家父長制の確立は、平安期に天皇家や摂関家から始まってゆきますが、…

イザナキ・イザナミについて。日本人の神観念のなかには、大地は神が生んだものだという発想があったのですね。日本以外にも、こうした考え方はあったのでしょうか。また、イザナミは蛇神だとの説がありますが、それは正しいのでしょうか。

例えばお隣の中国には、古い創世神話のひとつとして、やはり世界を神が生み出したとするものがあります。主人公は伏羲・女媧という夫婦神で、上半身が人間、下半身は蛇の姿をしていました。漢代に現れる両神の図像では、彼らは手にコンパスや定規を持ち、尾…

キリスト教では、祈ることも結婚式もお葬式もするのに、どうして日本では、お祈り・結婚式は神社で、お葬式は寺で…といったように分業制なのでしょうか?

実は、仏教も神道も、現在、あらゆる通過儀礼・諸行事を担う機能は持っています。寺院でも初詣や種々の祈願は行われていますし、結婚式も開かれます。最近では、東貴博・安めぐみの仏式結婚式が浅草の浅草寺で行われましたし、私も築地本願寺で仏式の結婚式…

古代の人々が開発の欲望と自然崇拝とを両立させていたのに、現在はなぜそれができなくなったのでしょう。やはり西洋文化の影響でしょうか、それとも人類発展の帰結でしょうか?

確かに古代においては、一方で自然環境の大規模開発を展開しつつ、もう一方で自然への祭祀を継続していました。しかし果たして「両立」できていたのかというと、やや疑問に思われる点もあります。『書紀』や『続日本紀』を読んでいると、例えば過度な樹木伐…

北條先生のご自宅の近くに、何か神社はありますか? その由緒は知っていますか? また初詣にはどこにいらっしゃるのですか?

現在は三鷹市深大寺に住んでいますが、八幡社だの御嶽社だのが近くにありますね。村落内の小社・小祠は、江戸期に各種神道や修験道諸派に吸収され、摂社・末社になったものがほとんどです。ゆえに、八幡・春日・諏訪・熊野・御嶽など、大神社と同じ名称を持…

現在のような神社の形態は、どのようにして始まったのでしょうか。

講義でお話ししたように、原型は古墳時代の自然祭祀にあります。しかし、その当時は時期に応じた祭祀が行われる祭場だけが設定され、社殿等は作られていませんでした。これが整備されてゆくのは7世紀末〜9世紀のことで、仏教の寺院に対抗し、中国の王宮建…