2012-07-02から1日間の記事一覧

「古人大兄王」や「中大兄王」など、語尾に「王子」や「王」と付いた名前が出て来ます。これが「皇子」や「親王」になるのはいつからでしょうか。 / 大王と天皇の具体的な相違は何ですか。いつから変わったのですか。 / 大王は神に近い存在だったのでしょうか。それとも江戸幕府の将軍のような存在なのでしょうか。

すべて、「天皇」の創出に関わることですね。最後の授業のときに、詳しくお話しすることができるでしょう……たぶん。

日本へ仏教を伝えたのは百済とされますが、朝鮮三国は、それぞれに対立しながらも仏教を通じた交流などはあったのでしょうか。

朝鮮の仏教事情にはあまり詳しくないのですが、いずれも4世紀末までには仏教が伝来しており、新羅には高句麗から伝えられたとされています。ともに中国へも留学僧を輩出していますので、僧侶同士の学問的交流や、政治的関係を前提とした知識・技術供与など…

なぜ最初の僧は男性ではなく女性なのでしょう。 / 仏教の担い手は、いつ頃から男性が支配的になるのでしょうか。

一説には、女性を神の憑依する存在と捉えるシャーマニズムが根底にあったからだ、とされています。それなりに説得性のある見解ですが、しかし、同時期の中国や朝鮮の仏教信仰を調べてみると、いずれも女性が大きな役割を果たしているのです。アジアの特徴と…

王殺しは推古朝の制度改革に大きな影響を与えたと分かりましたが、大化の改革とも関係があるでしょうか。

政治史的には、蘇我氏の王殺しが結局その独占体制を構築したと考えれば、乙巳の変の遠因になったとはいえるでしょう。また文化史的には、皇極朝における真の支配者=王は蘇我入鹿であったと考えると、これもまた王殺しなのだといえるかもしれません。事実、…

「歴史学をめぐる諸問題」の保立先生の講義のなかで、王を殺したことでその王が悪霊となり、自然災害を引き起こすと習いました。今回の王殺しの問題と、何か関係があるのでしょうか。

保立先生の講義で語られた「王殺し」は、天皇のことではなく、例えば早良親王の横死とその怨霊化についてであったと思われます。いわゆる「御霊信仰」ですね。これは非業の死者が悪霊化するという中国伝来の思想に基づくもので、菅原道真をはじめ、王「が」…

崇峻殺害は、一種のクーデターのような感じがしますが、どうでしょうか。 / 崇峻暗殺について、『書紀』に蘇我氏の名前が記されているのは、編纂者による政治的述作なのではないでしょうか。

馬子の側からすれば、政治の実権は彼が掌握していたので、クーデターにはなりえません。基盤はしっかり据えたうえで、首をすげ替えたに過ぎません。しかし、支配者層に与えた衝撃は大きかったものと思われます。なお、『書紀』は皇極朝の蝦夷・入鹿について…

史料18で、崇峻天皇は密かに武器を集めていたとありますが、天皇は何をしようと思っていたのでしょうか。

文脈からすれば、蘇我馬子を排除しようとしたということでしょう。しかし、崇峻が先に殺されてしまったので、本当の理由は分からなくなってしまっています。

仏教が公伝以前に伝わっていたのなら、なぜそのときには問題にならず、公伝になってから崇仏論争に発展したのですか。

私伝仏教が実際にあったことは、前回の質問に対する回答(仏獣鏡の件)でも述べました。講義でお話しするように、私は『書紀』に書かれたような形での崇仏論争はなかった、と考えていますが、中国等々でも、民衆が私的に信仰する範囲では宗教弾圧は行われて…

なぜ、蘇我馬子自身が僧にならなかったのでしょうか。別に仏教を信じていたのではなく、政争に利用しただけなのでしょうか。

仏教を信仰する方法は、僧になるだけではありません。とくに東アジアの支配者層の間では、仏教の有力なパトロンとなることで、その霊験や利益に与ろうとする信仰が強くありました。後に鎮護国家の所依経典として重視されてゆく『金光明最勝王経』などにも、…

『日本書紀』で、蘇我稲目が欽明天皇に「西蕃諸国が仏を礼拝している」と話していますが、稲目はそのことをどうやって知り得たのですか。 / 高校の頃、蘇我馬子らが崇仏を主張したのは渡来人と繋がりがあったからで、崇仏を行えば利益が得られるからだったと聞きましたが、本当でしょうか。

講義でお話ししたように、蘇我氏は葛城氏の伝統を継承し、多くの渡来系氏族を傘下に抱えています。また、外交にも大きな力を発揮していましたので、物部や中臣より海外事情に通じていたと考えられます。蘇我氏の判断としては、まず仏教文化を習得しない限り…

村落で納められた「初穂」は、現在神社でお守りなどを飼うときに納める「初穂料」と、何か関係があるのですか。

そうですね。古代の初穂のあり方が、現在の神社に「変形して」用いられているものです。

調と贄の違いとは、稲かそうでないかということでしょうか。また、海産物も「初尾」と呼ばれるのでしょうか。

稲作を主要な生業としている村落と、狩猟や漁労を生業としている村落とでは、定住のあり方も含め共同体としての構造が異なります。よって、支配の仕方についても異なる施策を用いねばならない。調と贄とは、名称だけでなく、支配対象としての共同体の把握の…

古代の贄が動物の肉であったのが、神憑り的な神道や仏教に後押しされて、人の肉を用いる生け贄の概念に発展したのですか?

供犠とは、理論的には、人間にとって最も大事なものを捧げる祭儀です。そうしなければ、神は応えてくれないと考えられていたのですね。よって、そもそもが人間を犠牲に捧げるものとして行われていた、とみられているのです。それがやがて、執行主体の共同体…