2012-07-16から1日間の記事一覧
那須国造碑は、授業で紹介しなかった後半の韋提の生涯を綴った部分は、対句調の四六駢儷体で書かれています。すなわち漢文の美文調で、唐太宗の「金鏡」、高宗の「大唐三蔵聖教序記」から字句を撰んでいることが判明しています。中国文化に準拠することで自…
北方の民族とは様々に交流、交易していた可能性があります。ただし、この時点では東北・北海道の地域社会も幾つかに分裂しており、統一的王権の形で外交するという段階には達していません。『書紀』斉明天皇4年(658)是歳条には、「越国守阿部引田臣比羅夫…
過去に一度回答したことがあります。下記を参照してください。http://d.hatena.ne.jp/hojo_lec/20100719/1279530874
平安時代には男性優位の性愛関係が構築されており、例えば性交渉を持つ場合も、女性の側から積極的に、というあり方は好ましくないものと考えられるようになっていました。しかし奈良時代以前には、女性の側にもそうした行動が認められていたのです。『書紀…
律令体制下においては、国家の重要な命令は、末端の里長が口頭で伝達することになっていました。これは、各村落共同体の統治の仕組みを利用したものです。いくら古代社会といっても無秩序な社会ではなく、村には村の慣習法、固有法が存在し、首長によって統…
基本的には、世襲の委任統治である国造制を廃し、中央派遣の国司を頂上に置く行政機構を設置したので、郡県制に近いものです。しかし、国の下部単位である郡=評には、もとの国造ら在地豪族を任用するなどしたので、中央集権支配の枠組みを地方の在地的文脈…
少々難しいですが、直接的関係はないようです。犬飼の系列は、授業でお話ししたように、供御の狩猟や屯倉・宮殿の警備のために犬を飼育・活用した氏族です。後に橘氏を生じる県犬養氏などは、神魂命8世孫阿居太都命を祖神とすると伝えています。しかし犬養…
恐らくクーデター勢力は蘇我の本宗家を滅ぼすことを計画していたので、蝦夷についても当然滅ぼすつもりでいたでしょう。とくに蝦夷の邸宅は、飛鳥板葺宮と向かい合う甘樫丘に建てられていましたので、彼が勢力を糾合する前に決着をつけたかったはずです。入…
私もそう思います。崇峻暗殺のときと同様、これは『書紀』の演出である可能性がありますね。中大兄と鎌足の出会いの場は、大王への服属儀礼が実施された飛鳥寺西の斎槻の下でしたし、三韓進調も同一の意味を持った儀式です。あえて服属や忠誠を意味する舞台…
斎槻の広場は、飛鳥に宮が重層化する以前から存在した可能性があります。『日本書紀』には、飛鳥寺を建てる際に、飛鳥の衣縫造の祖「樹葉」の家宅を破壊したと記されています。名前から考えても、この「樹葉」が飛鳥の樹木信仰の中心であり、その信仰の中心…
当時の宮廷において演じられた歌舞には、大別して在来系と外来系のものがありました。後の律令制雅楽寮において規定された演目をみてみると、前者は国土統一の物語りを基礎とする集団演舞で、神武東征や蝦夷征討などと関連する久米舞、朝鮮半島の経略などと…
古代中国には、「偶語」と呼ばれる宮廷演劇があり、中国史の野間文史氏などは、例えば『春秋左氏伝』の説話的部分の典拠として演劇の媒介があったことを想定しています。『史記』が依拠した史料群のうち、「その場でみてきたような」事件に関する記録は、や…
舶載していった可能性はありますが、結局はみせていないでしょう。当然、『書紀』を撰した編纂官たちは、その限界を熟知していたと思われます。ただし、後世に至るまで『書紀』の正史としての地位は揺るがず、幾度か講義もされていますので、例えば新羅や渤…