2012-11-14から1日間の記事一覧

以前にある先生から、「今の日本史の定説へ反論を述べると、右翼的な保護者から猛烈な嫌がらせ受ける危険性があるから覚悟しろ」といわれました。これも、専門家と社会の間に議論を設けることで、解決できるものなのでしょうか。そもそも、二者の間に議論を設けるにはどうすればよいでしょうか。

例えば、「つくる会」系の教科書については、歴史学者と教育学者が作るさまざまなネットワークが、書籍を作ったり、シンポジウムを開いたりして批判をしています。彼らの主張は論理的には破綻しているのですが、その目的は歴史的事実や論理性を超越したとこ…

高校で歴史学的側面を採り入れることは、教員や生徒にも新たな負担となるうえ、コアなテーマだと関心も薄れて有意義な議論にならないのではないでしょうか?

冒頭でお話をしたように、だからこそ既存のカリキュラムに手を加え、例えば必修の「世界史」に替えて、「歴史基礎」などの思考型の授業を新設すべきだと提案されているのです。題材の選択には注意が必要ですが、これを負担と感じるようでは、教員にも生徒に…

昔の人は何事も記録をしたようですが、例えば天皇や将軍が、何か書かれて困ることはなかったのでしょうか。 / 『日本書紀』には、天皇に対するマイナス・イメージなどは書かれない傾向があるとのことですが、この時代に信頼できる歴史書はないということでしょうか。

王の一挙手一投足を記録する史官の話は、あくまで中国のものです。日本の場合はかなりアバウトでした。権力者の記述については、当の権力者側の史料である限り、一定のバイアスがかかっていたとみるべきです。これまでの回答にも示しましたが、この世の中に…

天皇の血筋の神聖性が確立されたのは近代である、とのことですが、日本は実質的に政治を行う組織は代わっても、常にトップは天皇だったのではありませんか?

授業では「我々が考える」と形容を付けておいたと思うのですが、現在の我々が考えるような、国民一人ひとりに神聖性の定着した天皇像は、近代以降に作られてきたものだということです。また、高校日本史や受験日本史では、天皇は宗教的権威を保持し、将軍は…

おん祭りで「染膳」が出てきました。あのような鮮やかな色は、古代から出せていたのでしょうか。また、それぞれの色には何か意味があるのですか。 / 「染膳」に関して、緑のものを「青」と表現するナレーションがありました。今でも緑を青とする言語文化はありますが、おん祭りが確立された当時、現在の緑に相当する色彩感覚はなかったのでしょうか。 / 神に供えられるお米や木の実、染め物・盛り物などの供物には、いったいどのような意味があるのでしょう。

「御染御供」のことですね。これは、春日大社に伝わる特殊神饌のひとつです。神に供えられ、本来は直会の場で神人共食に供される神饌は、もともとは個々の神社の特性に基づいて供献されていました。簡単にいえば、山の神には山の幸、海の神には海の幸が供え…

授業で紹介された初期の久米歌について、山で網にかかった「鷹等(クチラ)」は、鷹なのでしょうか鯨なのでしょうか。どちらの信憑性が高いと思いますか。

歌や説話というものは生き物です。現在我々がみることができる古代の歌、説話は、文字によって固着された書き物でしかありませんが、本来は歌われる場、語られる場によって、言葉や表現、強調点等を変える、融通無碍な存在であったはずです(歌の引用の後に…

久米歌が、民謡から軍事的な歌へ変容してくる背景には、何か大きな変化があったのでしょうか。

大まかにいえば、結束を高めるための郷土の民謡から、士気を鼓舞するためのいくさ歌へという変遷があり、その背景には王権の確立とそれに基づく征服戦争の進展があるのだと思います。すなわち、王権の軍としての自覚を高めるために、上からの鼓舞に用いられ…

「樹下の芸能」について。平安時代の蹴鞠も4本の木の本で行ったとのことですが、蹴鞠も奉納するような芸能だったのでしょうか。

いわゆる「遊び」は祭祀から分離したものだと考えられています。現在に伝わる子供の遊びのなかに、卜占や呪術の名残があるのもそのためです。例えば柳田国男など、かごめかごめや目隠し鬼などについて、本来は神意を知るための方法だったものを、子供の文化…

樹木信仰は世界各地でみられますが、中国や朝鮮の信仰では、「小さいもの」「子供」のイメージが強いように思います。おん祭りでは、東国の舞を子供が舞っていましたが、何か関係があるのでしょうか。

確かに子供の姿をした木霊が登場する神話、伝説は存在しますが、必ずしもそれが一般的というわけではありません。樹木の神の姿としては、古くは牛、蛇、白頭の老人など、極めて多様な存在形態を示します。日本では、木霊が人間の男性と結婚するという「三十…

かつては政治的、宗教的意味を強く持った芸能に、娯楽としての意味が強くなったのはいつ頃のことでしょうか。

やはり、室町から江戸にかけてでしょうね。現在の能、狂言、歌舞伎などの基礎が確立される時期です。とくに大名の庇護を受けて座が設けられたり、市中の上演によって民衆化が進むなかで、急速に芸道あるいは娯楽としての色彩を強めてゆきます。しかし現在の…

春日若宮おん祭りで奉納されるような田楽と、庶民が田植えの際に踊った田楽とは、根源を異にするものでしょうか? / 猿楽とは物まねであるとの解説が付いていましたが、何を真似るのでしょうか。

基本的には同じです。専門芸能者が行った田楽は、農民たちが農作業に伴って踊った田遊びなどに材を得て、外来の要素等も採り入れ芸能化したものです。やがて形式化されたそれらを庶民がまね、逆輸入?の形で村落の芸能にも影響を与えてゆきました。寺社の祭…

舞の際、仮面を付けるのにはどのような意味があるのでしょうか。異国の人の顔立ちを表すため、ということはありますか。

外来の舞楽では、もちろん、異国人を表す面(胡人など)が存在しますので、演じる役に応じて仮面を付けるということが行われました。日本列島では、古く祖先を演じたと推測される縄文期の仮面が出土していますが、仮面は芸能の場で何者かに姿を変える、変身…

礼楽には右舞・左舞があるとのことでしたが、1つの神社に両方があるのでしょうか。地域によって分けられているのですか?

映像で紹介したのは、あくまで「春日若宮おん祭り」に奉納される芸能のことですので、全国の各寺社で同じような神事がなされているわけではありません。奉納の神楽や能を行っているところは多々ありますが、これだけ古い、多様な芸能を保存し奉納し続けてい…

雅楽ですが、西洋音楽に慣れ親しんだ私には違和感がありました。そもそも、フレーズやメロディーは存在するのでしょうか。また、舞の上手さ、下手さなどを理解する感覚は、見続けることによって養われるものでしょうか。

まあ、映像では各舞の一部、その伴奏となる楽を細切れにしか聴かせていませんので、何だか分からないのも無理はないでしょう。きちんとしたリズム、フレーズ、メロディのある楽曲が存在しますので(小学校や中学校の音楽の時間に、習ったことがあるのではあ…

楽府は外交使節の迎接の際に必要だったとのことですが、その場合、軍事的色彩の濃い在来系の群舞が行われたのでしょうか。私が使節側だったら、武器を持たれていると怖ろしいうえ、戦意を高めるような歌を歌われても謎に思うと考えます。

そうですね、武器といっても儀式で用いる儀仗ですので、危険はありません。また(舞台となる空間の大きさにもよりますが)、いつでも襲撃できるような直近にて観覧するわけでもないと思いますので、その点では問題はなかったでしょう。なお、使節に王権成立…

在地の芸能が服属儀礼として捧げられるのは興味深いと思いましたが、逆に、服属を強いられた自国・地域のアイデンティティーを芸能に込める、伝え続けるということは行われなかったのでしょうか。

重要な着眼です。しかしむしろ、郷土のアイデンティティーがそのなかに表現されているからこそ、それを王の観覧に供することが服属儀礼になるわけです。しかし『日本書紀』神代下/第十段一書第四には、隼人の祖先ともいう火酢芹命(海幸)が、弟の火折尊の…

春日若宮おん祭りではさまざまな舞が舞われていましたが、男性が舞うものと比べ、女性が舞うものは少ないのでしょうか?

やはり男性が舞うものの方が多いですが、女性が舞うもので有名なのは「五節舞」ですね。天武天皇が考案したと伝えられ、孝謙・称徳が皇太子時代に初めて舞ったものです。後に集団舞となり、平安期には舞手の舞姫が有力貴族から推薦・献上されて天覧を受け、…

芸能が歴史叙述のなかで関わってくるのは、単に儒教的な礼楽思想からの影響でしょうか。そもそも、芸能が日本の古代の歴史のなかでどのような役割を担っていたのか、興味があります。

上の回答でも述べたように、共同体に伝わる歴史=神話は、語り部によって伝承され物語られたり、祭祀の場において神事=芸能として上演されたりしてきました。日本列島では、縄文中期頃から舞台のような円形の祭祀場が作られ、そこから土で作られた仮面など…

今日観た映像の「春日若宮おん祭り」ですが、楽器を演奏したり踊ったりしている人たちは、寺社の関係者でしょうか、それとも芸能のプロなのでしょうか。もし雇用しているなら、その資金源も知りたいです。

確か、大和猿楽四座が奉納しているはずです。これは、興福寺や春日大社の神事に奉仕してきた芸能集団で、現在は宝生座・金剛座・金春座・観世座からなります。いうなればプロですね。奉納神事ですから本来は無報酬でしょうが、現在は何らかの名目で謝礼が支…

若宮という存在は、神々の子というより「生まれ直し」の意味合いが強い、というお話が興味深かったです。輪廻転生を基本概念とする仏教圏であれば、そのような例は多いのでしょうか。

日本の神祇信仰の本質は、自然現象を表象することによって構築されています。授業でもお話ししましたが、季節が春から夏、秋、冬、そしてまた春へと巡ってゆくように、神霊もまた死と再生を繰り返すものと考えられたのでしょう。春日大社に限らず、若宮の誕…

「乙巳の変の演劇性」が、けっきょく何を意味するか分かりません。事件→脚色して演劇として上演→その物語性の強い話を事実として記録、ということでしょうか。

物語の過剰なストーリー性、読むものを意識したダイナミックな展開・舞台設定、散りばめられた漢籍故事との類同性、俳優の存在などを総括して「演劇性」と表現しました。『日本書紀』に掲載される乙巳の変の記事の原型が、宮廷歌舞の背景をなす物語として構…

そもそも「舞」の起源はいつ頃なのでしょう。なぜ人々は、踊りから神々への祈りを表現しようとしたのでしょうか?

起源はいつなのか、確定するのは難しいですね。しかし、人類の行う祭祀のなかに、通時的にも共時的にも舞踊の要素が普遍的に存在することからすれば、音楽や舞踊は祭祀とともに始まったといってよいかもしれません。歌や舞はトランス状態を導き神の言葉を告…