2012-12-05から1日間の記事一覧

熊の遺体にくわえさせていた花矢には、何か特別な意味があるのでしょうか。

花矢(ヘペレアイ)は、精霊の世界へ帰る熊へのお土産だと説明されます。鏃が取り外された矢先にはイナウの飾りが付いていますので、射られても身体に刺さることはありません。イオマンテの祭儀中では、仔熊を広場で遊ばせている間に、古老たちによって次々…

解体された熊について、毛皮にも規定の畳み方があるとのことでしたが、それはどのようなものだったのでしょうか。

仰向けの状態になっている毛皮を、まず前足、後足の順で内側に折り畳みます。そのうえで、身体の側面をさらに内側へ折り込み、頭部を軸とする細長い形態に畳みます。さらにその胴体を何段階かに折り畳み、最後、そうしてできた方形のうえに頭部を載せるよう…

復興されたイオマンテでは、解体される熊は予め死んだものを用意するとの事でしたが、これはどのように確保されるのですか。

すべてがそのように実施されているのかどうかは分かりませんが、現在のイオマンテでは、広場で遊ばせ殺される瞬間までを仔熊を対象に進め、殺害=肉体と霊魂の分離の段階で、予め殺しておいた成獣の雄熊に取り替えるということが行われています。これは、仔…

イオマンテのような祭儀は、本当に効果があったのでしょうか?

「効果」というのは、どのような意味の「効果」でしょうか。たくさんの肉を持ってきてくれるようにとの豊饒の願いという意味でなら、あまり効果は期待できなかったでしょう。しかし、授業でもお話ししたように、この祭儀の本当の意味は「送り」です。こう断…

イオマンテの火の神の話を聞いて、アイヌ文化でも火と死が密接に繋がっているのだなと感じました。ところで、アジアでは火葬が一般的なのに対し、ヨーロッパでは土葬が多いですが、これは宗教の相違から来ているのですか。

うーん、それぞれがたどった歴史的プロセスの相違、とみるべきでしょうね。日本で火葬が一般的になったのは非常に新しいことで、例えば東北地域などでは、1970〜80年代くらいまでは土葬が主流だったのです。前近代においては日本列島中が土葬であって、火葬…

ナーナイの伝承について、主人公の義兄である「黒い熊」と敵である「赤い熊」の色彩の相違には、何か意味があるのでしょうか。 / 主人公は、義兄の黒い熊をわざと殺したのでしょうか、それとも誤って殺してしまったのでしょうか。

赤い熊と黒い熊は、単に毛色が赤っぽい、もしくは黒っぽいだけなのか、あるいはもっと象徴的な意味があるのか。この伝承だけからでは分かりにくいですね。ただし、物語を複雑に、また「面白く」してゆく形式として、主人公が対立する集団のどちらかに味方す…

異類婚姻譚の熊の話について、当初は人間であった姉が、いつの間にか熊になってしまっていました。いつ変身したのでしょうか。

授業でも少しお話しし、また上でもアニミズムの解説で述べましたが、狩猟採集民のアニミズム的世界観では、毛皮の着脱によって、人間が動物になり、動物が人間になることができるのです。両者は截然とは区別されておらず、本体としての精霊を共有する同一の…

『三国遺事』において、熊は物忌みを実践して人間になれたのに、なぜ虎は失敗したのでしょう。2つの動物の相違には、何か特別な意味があるのでしょうか。

朝鮮半島において、虎よりも熊の神的イメージの方が強く、また親近性があったからでしょうね。中国周辺の少数民族の神話について調査してみると、虎を先祖に仰ぐ虎トーテムを持つ人々は江南地方から南西の地域に集中し、熊トーテムを持つ人々は北方・東北方…

昔話には、今回のように動物が人になりたがる話は多いですが、逆のパターンはみません。なぜそうなのでしょうか。

いえ、そんなことはありません。今回の話も、ちゃんと聞いてくれていれば分かったはずですが、動物が人間になりたがる話はひとつしかしていません。動物と人間が同じレベルにいて、それぞれ自由に人間の姿になり、動物の姿になったりするのです。これが古い…

狩猟が性行為の象徴というのは、アイヌ独特の考え方なのでしょうか。日本列島にも同じような事例があるのですか。

上にも指摘しましたし、授業でもナーナイやインディアンの話を出しました。全世界的なイメージ連関です。日本古代の神話でも、川上から流れて来た矢を拾って床辺に置いておくと、その矢に化身していた神の子を妊娠してしまうという話が残っています。京都に…

私の知人には狩猟する人々がいますが、生き物を殺すことに罪悪感を感じてはいないようでした。これは単に昔の慣習を忘れてしまったのか、それとも農耕民族であるがゆえの考え方なのでしょうか。

以前とあるシンポジウムで、知人の研究者と、人は殺生に対して後ろめたさを覚えるのか、それとも快楽を覚えるのか、という激論を交わしたことがあります。現実には、このような二者択一の問題設定はありえず、快楽も覚えるが後ろめたさも感じる、とした方が…

大江健三郎の「飼育」という作品に、山羊と黒人とが性交する場面が出てきます。これを神話的表現とする見解もありますが、人間と熊であれば同格の印象があるものの、山羊とではどのような意味があるのか理解できません。

すでに授業でお話ししたように、山羊との異類婚姻神話はインディアンなどに語られています。現在でも、性愛の最高表現のひとつとして「食べてしまいたい」というものがありますが、食事と性行為とは象徴的に重ね合わされやすい性質を持っています。ゆえに狩…

精霊の世界はアジア特有だとのことですが、ヨーロッパの錬金術などで、同様なものの見方があるのではないでしょうか。

私が「特有」といったのは、人間も動物も死者も生者も渾然一体となった、魂の原郷のような他界観のことです。錬金術の思想には、確かにキリスト教以前の古ヨーロッパ的発想も混じり合っているようですが、やはりさまざまな要素を神秘的に繋ぎ合わせた「新し…

天皇の一族もワニの子孫だということには驚きましたが、日本にワニはいないのになぜなのでしょうか。

ワニについては、大別して3つの考え方があります。1つ目は、南方の神話的要素として実際のワニのイメージが入ってきているという考え方、2つ目は、ワニをサメの異称とする見解、3つ目は、南方のワニのイメージは引きずっているものの想像上の動物である…

異類婚姻で生まれた子供が、ケンタウロスのように半人半獣だったという話は聞いたことがありませんが、そうした事例はないのでしょうか。

半人半獣の考え方は、動物/人間が別個の存在と明確に分けられた結果、生まれてくるものと思います。上で述べたアニミズムのように、本体の精霊はまったく同じ姿形をしており、動物が人間にも、人間が動物にもなれると考えられていた段階では、両者が結婚し…

名字に「熊」の字を持つ人は、異類婚姻と関係があったりするのでしょうか?

うーん、必ずしもそうとはいえないでしょうね。大化改新の単元でも触れましたが、日本の古代で人名に動物の名称が付けられている場合、それはその動物の力強さ、優れた力などを言祝いで用いることが多いようです。それ自体は非常にトーテミズム的な、異類婚…

基本的な問いで申し訳ないのですが、そもそも「精霊」とは何なのでしょう。神と同義でよいのでしょうか。とすると、熊は神への供犠ではないのですか。

キリスト教の「聖霊」とは違います。アニミズムの説明でも述べましたが、生命そのもののことですね。万物に共通です。現在のスピリチュアリズムに託して述べるなら、「霊魂」といってしまってもよいかと思います(アニミズム自体、「万物霊魂論」と翻訳され…

熊に対して、汎世界的に共通する認識、概念が存在することに驚きました。現代のようにインターネットもない情況なのに、どのようにして共有がなされたのでしょうか。

以前に別の質問に対してした回答ですが、隔絶した地域に酷似した文化形式が残っている場合、大別して二つの要因が考えられます。ひとつは伝播論で、ある地域から人やモノ、情報の移動によって伝播してきたというもの。もうひとつは環境準拠論で、類似の自然…

アイヌの人々によって、熊がどれだけ大切な存在であったかよく分かりました。ただその場合、熊に殺されてしまった人たちは、どのように扱われたのか疑問です。神格に触れたと意識されたのでしょうか、それとも運が悪かったと考えられたのでしょうか? / アイヌでも朝鮮でも、現在のように人間が熊に襲われるといったことはなかったのでしょうか。あったとしたら、熊を危険な動物とはみなさなかったのでしょうか?

熊はもちろん危険な動物であり、それゆえに畏怖されるのです。人間が襲われることも当然あったでしょう。しかし、アイヌにおける神=カムイの概念は、やはり主や精霊に近いものですので、キリスト教の神とはニュアンスが異なります。熊が、まったく落ち度が…