2012-12-12から1日間の記事一覧

追儺の方相氏について。天狗とそっくりに思うのですが、関係はありますか? / 方相氏は鬼のような面を着けていますが、熊と同じように、もともと鬼を追う神聖な役割だった彼らが、追われる鬼へ変化してしまうということでしょうか?

天狗の姿形は修験道の山伏をモチーフにしていますので、方相氏とは関係ありません。なお、方相氏が鬼になるというのはそのとおりで、追儺においては、中世から方相氏が追われる役になってしまいます。それは熊と同様、方相氏が両義性を持っていたためで、そ…

祥瑞の熊について、黄色や青色のそれより、赤色がランクが上なのはなぜですか。色によって優劣が決まるのでしょうか。

色彩の意味付けは主に五行説によってなされます。赤は火の色、黄色は土の色、青色は木の色ということになります。ほかに金は白色、水は黒(玄)色です。このうち、ふつう最もランクが上なのは黄色で、土は方角的に中央を表し、中華=皇帝に通じるためです。…

「熊本」という地名は、熊と関係があるのでしょうか。

これは、周縁の方を意味する「隈(クマ)」ですね。しかし熊自体に周縁の意味が含まれるとすると、ほぼ同義ということにもなります。

産婦がケガレとみなされたのはなぜでしょうか。ヨーロッパにも同じ見方があると思いますが、関係はありますか?

前近代に女性が差別的に扱われるのは広く世界的にみられる現象ですが、その要因のひとつとなっているのがケガレです。日本では、死のケガレに対して赤不浄などとも呼ばれ、血のケガレを意味するものとされました。しかし、本質的にはその血が月経、もしくは…

江戸時代に熊を飼っていたことについて、ペットという感覚とは違うのでしょうか? / 熊を飼うだけの経済力が一般人にあったのでしょうか。また、法律による規制はなかったのですか。

紹介した史料はペットの感覚に近いですが、穿った読み方をすれば、仔熊を育てるアイヌのように、我が子に近い感情を持っていたとみることもできます。経済力の問題については、その後この熊がどのように飼われていったか、途中で手放されたものか殺されたも…

熊掌が栄養価の高いものと扱われていたのは分かったのですが、実際にはどうだったのでしょうか。 / 熊掌は右手が重宝されたとのことですが、熊には左利きのものは存在しないのでしょうか。

これはどうなのでしょう…寡聞にして知りません。また調べておきます。右利き/左利きの問題については、人間と同様に左利きの個体も存在したと思われます。しかし、右利きが優位で、一般的に右掌が重宝されたということに過ぎません。

神聖だと思う熊の毛皮を剥いだり、熊胆を服用したりすることを不思議に思います。神聖なものに手を加えることを、昔の人は恐れなかったのでしょうか?

これは以前にも回答しましたが(性愛と食との関係についても言及しました)、前近代社会、民族社会では、神聖なものほど食の対象になりうるのです。その生物の能力を認め、それを自らのなかへ吸収したいと考えるからです。首狩りやカニバリズムの根底にも、…

熊のほかにも、鬼として認識された動物はいたのでしょうか? / 熊ばかりが神聖視され、他の動物はそこまでメジャーにならなかったのはなぜですか?

いまお話ししている狼についても、これを「鬼」と捉えた史料が存在します。もっとも、これについては狼の別称であるオイヌを、オニと聞き違えたのだという説もありますが…いずれにしろ、人間にとって周縁的存在であり、野生を代表するような畏怖の対象は、神…

当時の「鬼」についての認識ですが、鬼も一種の神としてイメージされていたのでしょうか。だとすれば、神/鬼の根本的な相違はなんですか?

「鬼」という漢字の原義は死体で、転じて死霊、祖霊を指すようになりました。日本ではこれにオニという訓を付けますが、これは陰陽の陰=ヲンを表すとか、さまざまな説があります。角を生やして虎のパンツを履いて…といった常套的イメージができあがるのは、…

クマの語義として、「隅」に等しいとする説について、「人間が住む世界と動物や神々の住む世界との境界」との説明をいただきましたが、これでは以前から人間と動物を分けて考えていたことになりませんか?

もちろん、個体や生物種が異なりますので、一定の区別はされています。それは人間でも同じことで、ヤマト王権の段階では、地域的・文化的差別が行われました。九州南部の人々は「熊襲(クマソ)」と総称されましたが、中央の人々による文化的差別でありなが…

熊送りのような祭儀は、他の動物に対しても行われたのでしょうか? / 虫送りは、どのように行われる祭儀なのでしょうか。

はい、アイヌの世界では、狼送りやフクロウ送りもあります。しかし、鹿や鮭などは送りの対象となっていないようで、やはり生命へのランク付けは存在するようです。しかし、送りは極めて広い文化事象であり、人間の葬儀も送りの一種です。事実、中国少数民族…

私の父は、家の近くに小さな畑を借りて野菜を作っています。殺虫剤や除草剤はほとんど使わず、代わりに虫が嫌う植物を植えたりして、なるべく野菜が害を受けないようにしています。それでも、虫の命を奪っていることになるのでしょうか。

人間が、自分の身に合うだけの食べ物を作る農耕が、自然に対する圧力の最も少ない営為だと思います。しかし農耕は、どんなに小規模なものでも、必ず自然環境を改変します。その善し悪しはともかく、同じ作物を同じ場所で作り続けていれば、肥料を加えなけれ…

「義獣」は熊だけに対する表現でしょうか。他の動物にも使用される言葉なのですか? / なぜ鈴木牧之は、熊が他の獣を殺さず虫を食べることを、「義獣」の要因としたのでしょうか。

日本ではあまり使用しませんが、漢籍には例があるようです。儒教思想から獣をみた場合の位置づけといえるでしょうが、本来の儒教は人間/動物の区別を厳密に付けますので、ランクの低い獣が義を知ることの特異さから呼称されるものといえそうです(よって、…

現在私たちは熊に恐れを感じ、護身のために殺害することもある。ではなぜ、くまのプーさんなどといったマスコットキャラクターに人気があるのだろう。呪術性を失い、人間と熊との関係が稀薄になった現在、キャラクターとしての熊を通して、再び熊との関係を築きあげようとしているのだろうか。 / 熊から得られる効能の消費者から、これを愛でる消費者へどのように変わったのか分からず、もやもやしています。

講義でお話ししたとおり、実際の熊と遭遇する機会が減少する一方で、もともと熊に対する言説のなかにあった親近性ばかりが肥大し、「かわいい」要素が情報として支配的になってしまっているからでしょう。いいかえると、自然を征服したという幻想に無自覚に…

無痛文明論について関心を持ちました。確かに最近、人間はぬくぬくとしすぎかもしれません。しかし、そうだというなら、どのくらいまで文明を戻せばいいのでしょうか。 / 大事なことは、自然界が人間のみで成り立っているのではないと、常に考え続けることだと思う。そのために、極端だが、熊送りのような祭儀を復活させてもいいかもしれない。実際にそのような文化を保持している地方が、まだ日本列島にもあるのだろうか?

文明をある時点まで戻す、という発想は、残念ながら現実的ではないでしょうね。現在の原発に対する反応をみても、人間は進んだ先から引き返すことがなかなかできない、豊かさや快適さを手放すことができない生物であるようです(まあ、生き物とはそうしたも…