2014-04-14から1日間の記事一覧

通史を書くにあたって、講義全体を扱うべきなのでしょうか。それとも古代史のなかで時代を選べるのでしょうか。

また変更することもあるかもしれませんが、現在考えているのは、授業で扱った全般をカバーするものです。とうぜん、限られた字数のなかで「満遍なく通史を叙述する」ことは不可能ですので、何らかの基準に沿って取捨選択を行い、何らかの理由をもって「重要…

中学・高校とほぼまったく日本史に触れていなかったのですが、毎回シラバスに書かれている内容について、予習をしておいた方がいいでしょうか。

教員としては、「絶対予習・復習してね」といいたいところ。2単位を得るためには、制度上は予習・復習の1時間ずつが義務づけられているのですから。予習・復習を行えば行うほど、必ず理解度は高まり知識は身につきやすくなる、それは間違いありません。し…

神話やかぐや姫にみられる異星人のような存在は、学界などではありえないことなのでしょうか。超古代文明などはどうでしょうか。

まず、神話や伝承、昔話などに出てくる存在をなぜ宇宙人、異星人などと捉えるのかという点が問題です。そういう類の書物は世のなかに氾濫していますが、たいてい史資料を恣意的に読解しているか、先入観を持って読んでいる。あるいは、史資料などまともに読…

自分の家系の歴史について、どうすれば調べられるでしょうか。

『角川日本姓氏歴史人物大辞典』というシリーズが、都道府県ごとに出ています。まずは、ご両親に尋ねるなどして自分の故郷について調べ、この本を引いてみてください。故郷が分かれば、氏姓と地名が一致する場合などもありますので、やはり都道府県ごとに出…

先生は、古代史のなかでなぜ自然環境に関心を持ったのですか?

こちらを参照してみてください。しかし、この手の質問に対する回答など、多くの場合は自己正当化の物語りに過ぎないのではないでしょうか。皆さん、受験や就職活動で「志望動機」を訊かれることが多いと思いますが、それに対して用意した回答は、ほとんど建…

環境史を追求してゆくうえで重要なことは、文献か絵図か現地の調査なのか、詳しいことを聞かせてください。

そのすべてですね。結局、環境史のなかでも、何を明らかにしたいのかという具体的な対象、問題設定によって、用いる方法やその重要性は変わってきます。心性や感性を探る分野なら文献や絵画が重要でしょうが、例えばそのなかでもある地域の樹木観について探…

私は武蔵野に住んでいますが、平地だということをほとんど意識することなく、今日まで過ごしてきました。そういう場合でもやはり、山や海の近くで暮らしてきた人と考えが変わる、ということがあるのでしょうか?

「ほとんど意識していない」という点が重要なのです。すなわち、人間の感性や感覚、思考様式などは、多く自然環境や社会環境によって無意識に構築されているのです。例えば、山や海のある変化の豊かな自然環境に暮らしていれば、それだけ多くの植物や動物、…

昔話における創作の部分と、何らかの事実に基づくと思われる部分とは、どのように区別されるのでしょうか?明確な基準があるのでしょうか?

現在書かれ読まれている小説も含めて、完全なフィクションであっても、その時代に書かれたものは、必ずその時代の制約を受けます。未来を描いたSF小説をみると、19世紀の頃から、大砲の玉、ロケット型、飛行機型、船舶型、より自由な形状へとさまざまに変…

桃太郎以外の昔話にも、環境史と関わるような内容のものはあるのでしょうか?

非常にたくさんありますね。ぼくが一時期集中して研究していたのは、樹木が人間に伐られることに抵抗するという伐採抵抗伝承、樹木の精霊と人間とが結婚するという樹霊婚姻譚などですね。ほとんど追跡している学者がいないので、最近ではぼくの学説が海外で…

草山や芝山が大規模に広がっていたはずなのに、現在の人々はなぜそれを覚えていないのでしょうか?

重要なことですね。一般には、過去の重要な出来事、共同体の記憶は、長い年月をかけてずっと受け継がれてゆくと思われがちですが、実は多くが忘却されてしまうか、伝承されても時代時代の感覚に従って改変されてゆくのが現実です。自分の記憶力について振り…

刈敷のために生まれた草山や芝山からは土砂崩れが発生し、河川の洪水なども多発したそうですが、人々はその度に復興に尽力したのでしょうか。洪水が起きないようにする工夫はなかったのですか。

共同体のなかには、普通、自然環境の持続的な利用を可能にするための様々な慣習、決まりがあるものですが、権力による強制や災害などの問題が生じると、それが遵守されなくなり一気に破綻してゆく場合もあります。江戸期の草山、芝山がもたらす災害の場合は…

刈敷のもとになる芝や草を育てるため、広範囲で樹木が伐採されたそうですが、樹木は食糧としても建材などとしても必要性が高かったと思います。そのあたりはどのように両立されていたのでしょうか。

一般に里山には、草肥や牛馬飼料を採る草山・柴(芝)山、茅場、薪炭材や木製品の材料を得るための雑木林、建材を得るための杉林などが持続的に維持されていましたが、近世を中心とする時代には、いわゆる年貢を納めるため、そのうち草山・芝山の占める割合…

緑が少なかったとはいえ、日本には八百万の神々がいて、小さな山や森にも信仰があったと思います。個人的には、鬱蒼とした山の方が信仰は多そうだと思うのですが、そのような里山の時には自然への信仰はあったのでしょうか?

いわゆる八百万の神、森羅万象に神性を見出すアニミズム的な思考は、日本の共生文化の特徴のひとつだと考えられています。それは一面では正しいのですが、一面では間違っているといえるでしょう。なぜならアニミズム的思考は、必ずしも、現在の我々が認識し…

桃源郷など、中国の思想が、昔話などを通して民衆にも浸透していたことが分かりましたが、民衆の間には、「これは中国の思想だ」という自覚がどの程度あったのか、時代によって違いや変化はあるのか気になりました。

そうですね。日本の文化は、東シナ海を挟んで朝鮮半島や中国大陸のさまざまな文化と繋がり、渾然一体となっています。その多くは、一般の生活者にとって、「中国由来」とは自覚されていなかったでしょう。桃や神仙の文化にしても、遙か古墳時代から列島へ入…

教科書的叙述の問題性については、誰しもが考えることと思います。それなのになぜ、日本は「単語だけの記憶」といった教育法を続けているのでしょうか。

実際の教育事情は学校でそれぞれ異なると思いますが、ひとつはやはり、国民国家による国民「生産」方法としての歴史教育のあり方にあると思います。文科省などの最近の傾向では、一方では思考型の歴史教育の必要性を喧伝していながら、一方では政府の公式見…

日本史を世界史のなかで捉え直すというところで、「東アジア」から「東部ユーラシア」へという話がありました。地域名を言い換えたところで、捉え直すことになるのでしょうか。むしろヨーロッパ中心の考え方になってしまうのではないでしょうか。

これについては講義でもお話ししましたが、少し分かりにくかったかもしれません。現在の歴史学における「東アジア」という枠組みは、中国の冊封体制に淵源する政治的・文化的まとまりを指していますが、近年ではこの枠組みを超越した歴史的関係が明らかにな…

理論がなく個に依拠したものは、歴史というより単なる事実であり、過去を包括的に捉えられないので、理論・原理的な捉え方が必要と思います。先生はどうお考えですか?

2012年春学期の「日本史特講」で「歴史学のアクチュアリティ」と題する講義を行い、歴史学の理論・方法論について半期を通じて考えてみたことがあります。現在及び過去を認識するということ自体、実は何らかの理論なしには行えないことなので、仰るとおり、…

国によって歴史の考え方に相違があることの理由が分かりました。他のアジアの国々の教科書では、歴史はどのように書かれているのか気になります。

基本的に国家主義的な記述が多いですが、例えば中国・韓国・日本のように、歴史学者が協力して互いを理解し合う平和的教科書作りを目指そうという試みも、何年も前から行われています。日本の報道では、領土問題などのこともあり、お互いを扇動するような報…

心性史における「事実」とは何を指すのか分かりません。恐怖、感動などは幾ら調査をしたところで、多数派を「事実」として認めることにしかならないのではないでしょうか。

確かに、もともと心性史で扱っていた心の動きなどは「集合的なもの」なので、「一般的」なものの考え方、「普通」のものの考え方が重視されてきました。それはとりもなおさず、それまでの歴史・歴史学が、「特別」な人たち、「特別」なものの考え方だけを対…

私たちは、どうすれば「絶対に正しい歴史」を得ることができるのでしょう。 / 歴史の真実は、目撃者がいかなければ明らかにならないのでしょうか。

「絶対に正しい歴史」とは、捏造されていない、正確な、という意味でしょうか。この点は、ポストモダン的観点からすると、「不可能」ということになってしまいます。なぜなら、例えばある事件に関し目撃者が存在したとしても、その目撃者を通じて判明するの…