2014-05-12から1日間の記事一覧
まず共通のものとして見出せるのは、支石墓でしょう。世界的にも朝鮮半島に最も集中している形式ですが、日本では縄文期の終わりから弥生時代の初めにかけて確認できます。四隅突出型も朝鮮に起源するとの見解がありますが、詳しいことは分かっていません。…
基本的には交易だったと思います。経済社会学者のマルセル・モースが立証したように、前近代社会には贈与のシステムが存在し、贈与を受けた側には返済の義務が生じ、それが遵守されることで社会の平和が保持されていたと考えられています。現在の日本文化に…
殲滅戦は、攻める側にも被害やリスクが極めて高いうえに、敗れた集団を傘下におさめ、その構成員を奴隷化したり、水田その他の施設を接収したりと云った、自集団をより強化してゆくというメリットがほとんどなくなってしまうので、採用されなかったと思われ…
どうでしょうか。現在の経済・社会システムは、上層の階層や国々が下層の階層や国々から収奪することで成り立っており、貧富の差を拡大し、諸国間・階層間の摩擦を激化する結果をもたらしますので、それを解消するために武力行使がなされることは不可避であ…
ポリネシアでは丸木舟で太平洋を航行していますし、実際に海を渡って文物が往来していることは考古学的に確認されていますので、交易は行われていました。例えば朝鮮半島の南端部と日本列島の中国地方の間では、土器・漁撈具・農耕具などに至るまで物品のや…
難しい問題です。製鉄を行う際には、山を切り崩して砂鉄を採り、これを溶解するための登り窯丘陵斜面などに設けます。そして、周辺から伐採してきた樹木を薪炭材として高熱を生み出し、鉄を精錬してゆくのです。この作業は極めて専門的で、自然環境への負荷…
実際に移動する集団もあったと思われますが、集落間の交流や交易を通じて、稲籾や稲作の知識・情報が取引されたと考えた方がいいでしょう。イネは栄養価が高く、生産方法が定着すれば、狩猟採集よりも食生活が安定します。当初は狩猟採集との併用であったと…
雲南は、照葉樹林文化論との関連からしても、日本と密接に結びついた地域です。しかし、人種的なDNAが近いからといって、それが稲作ルートに直結するわけではありません。また日本人のDNAについては、Gm ab3stを北方モンゴロイドの標識的遺伝子として調査を…
近年では、稲のDNA分析が行われ、縄文時代に日本列島に入ってきた稲がどの場所で産出されたものなのかが確認されています。しかしそれは、あくまで原産地の確認であって、伝来ルートを導き出したことにはなりません。原産地から列島に至るまでの東南アジア、…
2500年ほど前に北部九州に伝わってきた稲作技術の特徴は、例えば禰宜田佳男氏によって、イ)堰と水路という灌漑システムを伴っていた、ロ)乾田でも半乾田でも適応できる技術であった、ハ)機能分化した木製農具をはじめ新たな道具を伴っていた、ニ)水田稲…
例えば、弥生時代の早期に属する佐賀県菜畑遺跡では、コメ以外の穀物としてオオムギ・ソバ・アワ・アズキ、その他の栽培食品としてリョクトウ・メロン・ゴボウなどが確認されています。もちろん、縄文以来のクルミ・ドングリといった堅果類も食べられていま…
これまでお話ししてきたような時代の転換期、社会の流動期に断絶し無くなってしまう集落は、数え切れないほど存在します。むしろ、弥生時代を通じて存続するような集落の方が珍しいといえるでしょう。気候的・社会的に安定した時期には概ね集落の存在期間も…
山麓と水辺の半定住状態は、縄文時代の初期の段階です。弥生時代への交代期には、その中間くらいの場所へ定住が進んでいました。確かに、縄文時代の集落が営まれていた場所に弥生のそれが連続する場合もあるのですが、全く新しい場所へ営まれることもありま…
近年の見解ですが、稲作労働は腰を屈めた作業が極めて多いため、腰骨の変形を招き腰痛などをもたらしたと推測されています。狩猟採集生活と比較すると、栄養価は格段に高くなり、身体の成長や肥大化には繋がったと思いますが、運動としては偏った姿勢を強制…
授業でお話ししたように、縄文/弥生転換期の大規模伐採は、低湿地林で起きています。弥生時代に始まった稲作が灌漑システムを伴うものだったとはいえ、高燥な地域よりは、やはり水を得やすい低湿地が水田化の舞台として選択されるのです。授業でお話しした…
キリスト教による環境破壊説を主張したのは、1960年代のリン・ホワイトが最初ですが、彼の指摘は正しい部分も、またそうでない部分もあります。キリスト教がアニミズムを破壊し、環境破壊の一要因を作ったのは確かですが、例えば神によって自然の支配を許可…
岡山県の彦崎貝塚から出土した、プラント・オパールの件ですね。戦後歴史学の成果を「自虐史観」として否定したい人たちからみれば、格好の宣伝材料であり、またナショナリズム的な優越感を満足させるに充分な意義を持つものでしょう。しかし、そうした形で…
厳密にいうと、弥生時代の開始時期がB.C.960〜B.C.915頃に比定され、早期・前期が大きく間延びする可能性が出て来たわけです。ご指摘のように、これまで積み上げてきた様々な議論との繋がりがありますので、その整合性をめぐる議論、抵抗が強いといえるかも…
授業でもお話ししましたが、祖先信仰とは、もはや霊魂といった存在を超越したものです。死者の霊魂といった意識は、具体的な人骨が伴っていた環状墓域の段階では持続していたでしょうが、それでも集落内の諸族を結集する神的な機能を持っていた。それが骨を…