2014-05-30から1日間の記事一覧

歴史学にとって、対象の主観性を汲み取る必要性は大いにあると思うが、研究者側の主観性を強く打ち出すことはどうなのだろう。もちろん、主観のない研究などありえないことは承知しているが…先生はどう思われますか?

このあたりは、ポストモダン思想のなかで長い間議論され、歴史学でも隣接諸科学との間で大いに意見交換がなされたところです。実証に自己のアイデンティティを求める歴史学は、この面では総じて保守的でしたが、とくに日本の歴史学界は異常で、今でも充分な…

先日、皇族の女性と出雲大社の関係者の婚約が報道されました。確か神話のなかで、アマテラスとオオクニヌシの話から、皇族は長きにわたって出雲大社への侵入は禁止されていたものと記憶しています。今回の婚姻にこの神話はどう影響してくるのか、また現代への神話の重要性の観点から、この婚姻は何か新たな意味を持つのか。先生はどうお考えでしょうか。

皇族が出雲大社の本殿に入れないのは、神話の関係からではありません。『古事記』に語られる国譲り神話では、オオクニヌシはその条件として天つ神と同様の宮殿で祀られることを要請し、受け入れられます。つまり、オオクニヌシを祀るのは天つ神の側であり、…

湧水点祭祀と龍神信仰とは、何か関わりがあるのでしょうか。

龍については、弥生時代の土器にその存在が確認される、との説があります。その図像は足の生えた百足のようなものであり、妥当であるかどうかは未だ分かりませんが、古墳時代の段階で、そうした神獣に関する情報が伝来していたと考えてもおかしくはありませ…

水の少ない地域では、その代替物として役割を果たしたものはあったのでしょうか。 / 水辺が長く大切にされてきたことを納得しましたが、森林が信仰の対象となったのはいつ頃、何がきっかけだったのでしょう。

森林については、やはり水辺と同時期から信仰の対象にはなっていたものと思われます。半定住は、魚介類の栄養素・カロリーだけではなく、土器の発明に基づく煮沸やアク抜きによって、ドングリや胡桃、栗などのでんぷん質堅果類を消化できるようになったこと…

洪水神話にまつわる「終末」の意識の強さに驚きました。それは、無常観などにも繋がるところがるのでしょうか。

中国の場合は、無常観とはあまり関係がありません。むしろ、今の苦難の時代をリセットして、新しい世界が来ることを希求するものです。皮相的なところでは現王朝が妥当され新たな王朝が誕生すること、より深いところでいえば、現在の時代・世界そのものが終…

明治・昭和の三陸大津波で海岸に回帰した人々は、自分の命が助かると思って行動に移したのでしょうか。それとも、土地のアイデンティティーを守ることが、命と同等の意味を持っていたのでしょうか。

「経済的理由」にしろ「民俗的理由」にしろ、やはり生存するという本義の表現の相違なのではないかと思います。三陸地域で生きてゆくためには、これまで関わってきた生業=漁業を続けざるをえない、土地で生きてゆくうえでは、大地と一体化した祖霊との繋が…

オオクニヌシは古代の巫覡の首長だったのでしょうか。古墳の周囲に濠が造られたのは、土を盛るためではなく、水辺を造り出す目的だったのですか?

斎藤英喜さんはそういう見方ですね。ぼくは、オオクニヌシの神格にしろ、神話にしろ、幾つかの在地の神々のものを集めて合成したものであると考えているので、それが成巫譚のようになっていること自体に関心があります。意識的にそうしたのか、あるいは自然…

日本列島で、沖縄のユタ以外に、シャーマンの文化が残っているところはあるのでしょうか。

たくさんの事例が確認されています。沖縄のユタと並んで最も著名なのは東北のイタコでしょうが、類似の口寄せ型としてやはり東北のゴミソやカミサマ、その他各八丈島や青ヶ島など島嶼部のミコにも独特の宗教文化が残っています。特定の祭礼の折のみに当番制…

自然にシャーマンになってゆくのではなく、人為的に身体を傷つけたりして、シャーマンを創り出してゆくという事例はあったのでしょうか。また、シャーマンが臨まれる時代・社会、望まれない時代・社会はそれぞれあったのでしょうか。

有名なのは、柳田国男の「一つ目小僧その他」にみられるテーゼでしょうか。年中行事的な祭祀において、神の依代としてその中心となり、最後には殺される神主を聖別しておくため、片目を傷つけるというものですね。この考え方については種々の批判があります…

ユタのビデオについて、女性の感覚が鋭いというのは、何か生理的なものと関係しているところがあるのでしょうか。 / シャーマンに類する職は、女性の方が向いているのでしょうか。

日本の民俗学、あるいは宗教史研究でも、女性=シャーマン(依代)、男性=審神者(さにわ。依代の神語りを、常人に分かるように通訳する存在)のペアによって宗教儀式がなされる、といった考え方が根強くありました。事実、歴史資料においても、あるいは現…

ユタのビデオをみせていただきましたが、一般女性がユタの歌のような語りを聞いたあと、なぜ激しい感情の高まりを生じたのでしょうか。また、それを聞いている私たちはなぜ平気なのでしょうか。 / 宗教には歌や音楽がついてまわるが、それは何故なのだろうか。日常会話とは違う音律に、非日常的なもの、神がかり的なものを感じ取るのだろうか。

神がかりの儀式なりそれに類する治療の類は、まず術者と患者、あるいはその場に居合わせた人との信頼関係、儀式が始まって終了するまでの全行程に参加すること、そして場の空気感を共有することが必須でしょう。その場に居合わせなければ、あるいはその場に…