2014-06-09から1日間の記事一覧

レジュメを参考文献にしたい場合には、どのように表記すればよろしいでしょうか。

レジュメ全体の名称、日付と頁数を挙げていただければ結構です。

『千と千尋の神隠し』の最後で、ハクが千尋に「ふりかえってはいけない」と言うのは、黄泉津比良坂の話をしているのだと聞きました。本当でしょうか?

千尋の訪れた世界が霊界として表象されていることは確かですが、「振り返ってはいけない」に黄泉津比良坂をみるのは少し穿ちすぎでしょうね。「振り返ってはいけない」も〈見るなの禁〉の常套句のひとつで、『旧約聖書』創世記のソドムとゴモラの話や、ギリ…

そもそも、なぜ人は地下を異界とする認識に至ったのだろう。空に異界を考える発想がないのも不思議である。

天上にも他界は設定されています。後の『古事記』にみる高天の原が代表的ですが、古墳に鳥型木製品が立てられていることからすると、古墳時代に天上他界観もあったのかもしれません。ちなみに黄泉国が地下に設定されているのは、まずは人間を地下に埋葬する…

〈見るなの禁〉は、中国から日本へ伝わったのですか、それともその逆でしょうか。

残存している文献からいいますと、当然中国のものが古いですね。ぼくの確認しているものでは、中国の戦国時代末(前3世紀頃)には成立していたとみられる『呂氏春秋』という書物に、殷帝国建国の英雄伊尹の出生譚が載せられており、〈見るなの禁〉が出てき…

死者の世界には馬や舟でしか行けないとの話があったが、『古事記』でイザナギは徒歩で黄泉国との往来をしています。これは矛盾ではないでしょうか。

授業でもお話ししましたが、黄泉国神話が古墳時代の他界観すべてをカバーしているわけではありません。あくまでその一部を反映しているかどうかということですので、相違があっても矛盾とはなりません。そこは多様性、ということです。なお黄泉国神話につい…

日本の土壌は多く酸性の化学組成であるため、遺体などが残りにくいと聞いたことがある。古墳のなかなどでもそうなのだろうか。

古墳は遺体を直接土中に葬るわけではないので、酸性土壌の内部よりも分解は緩く進むものと考えられます。しかし厖大な時間が過ぎてしまっていますし、石室内部が損壊し土に埋もれている場合もありますので、常に遺体が確認できるというわけではありません。…

追葬される主体は、死体の置かれている場所へ入ることを望んでいたのでしょうか。

天皇の埋葬される事例では、死後に夫や子供との合葬を望むという記録が時折出てきます。例えば推古天皇は遺詔(『日本書紀』推古天皇36年9月戊子条)のなかで、「比年五穀登らず、百姓大に飢ふ。其れ朕が為に陵を興し、以て厚く葬ること勿かれ。便ち竹田皇…

横穴式石室が普及し、追葬によって遺体をみる機会が増えたことで死者に対する意識が変わったと仰いましたが、具体的にはどのように変わったのでしょう。死者を恐れなくなったと言うことでしょうか? / 実際の追葬は権力者ではなく、従者などが行っていたのではないでしょうか。

古墳の祭儀は、それが被葬者をカミとするものであれ、あるいは首長霊を継承するためのものであれ、現首長にとって最重要の「通過儀礼」ですので、必ず現首長が参加、もしくは主主催する形で行われたと考えられます。追葬の場合は、すでに成立しつつあった土…

横穴式石室が神話の生成に影響を与えたとのことですが、埴輪など、古墳の他の様式が神話と結びついていることはないのですか。

上記でも少し触れましたが、『日本書紀』垂仁天皇32年7月甲己卯条には、皇后日葉酢媛命の埋葬に際し、凶礼を統括した土師氏の祖である野見宿禰が殉葬の風習を停止、代わりに土で人や馬、もろもろの形を作って埋めることを進言したとの記事があります。これ…

古墳は盗掘被害にあったりはしていないのでしょうか、それとも、死者の空間に入るのは恐れ多いという意識が持続していたのでしょうか。

長い期間のうちに、盗掘されているもの、削平されてなくなってしまっているものもかなりあります。考古学的な発掘調査を行うと、すでに石室内が荒らされているということも少なくありません。現在は宮内庁によって厳重に管理されている天皇陵にも盗掘されて…

横穴式石室への追葬は、スペースが空いている限りは積極的に行われたのでしょうか。それとも、何か経済的な事情なども絡んでくるのでしょうか。

埋葬の情況をみると、原則としては、父親の継承者に当たる嫡系の子供は、新しい古墳を造営するようです。上に回答した家族の埋葬のあり方をみますと、ロの父子関係においても、父と一緒に葬られているのは非嫡系の子供です。これは経済的な事情云々というよ…

花岡山5号墳で24名の埋葬があったとのことですが、血縁者のどれくらいまでが葬られるものなのですか。

古墳は、基本的に首長が埋葬される墓ですが、横穴式石室の導入により、その親族へ範囲を拡大して追葬が行われました。同じ石室を共有する血縁者は、概ね、イ)兄弟関係、ロ)父子関係、ハ)ロに家長の妻が含まれるもの、という3パターンが基本となります。…

横穴式石室=群集墳、という公式は成り立たないのでしょうか。

群集墳の性格自体が多様で、中期の早い時期に成立したものには竪穴式石室を用いるものもあり、残念ながら群集墳=横穴式石室、あるいは横穴式石室=群集墳、どちらの公式も成り立ちません。

埴輪の男/女はどのように見分けるのでしょうか。

服装や髪型です。また、その所作から判明する職業によっても、性別を判定できる場合があります。古墳時代に近い絵画資料や文献資料を使いながら、比較検討しつつ判断をしています。

人物埴輪は被葬者が死後孤独にならないためにと習ったのですが、それは間違っていたのでしょうか。

間違っているわけではないと思いますが、非常に素朴な考え方ですね。なぜならそこには、「古墳時代の人々も現在の私たちと同じメンタリティーを持っている」という無意識の前提があるからで、これは考古学や歴史学を扱う際にいちばん注意しなければならない…

神人共食の問題は、キリスト教にも深く関わっている気がします。神と食事を共にすることには、どのような意味があるのでしょうか。

黄泉国神話のヨモツヘグイにも似たところがありますが、同じものを食べることによって、その一体化を図る意味があります。よく共同体の結束を表現する言葉として、「同じ釜の飯を食べる」という慣用句が用いられることがあります。古代では何らかの目的で徒…

最近の精進料理に肉料理がみられるのは、単に宗派や時代の問題なのですか。 / よく葬儀や法事の場で、果物や缶詰を籠に詰めて花のようにしてあるのをみかけますが、あれも共食のための供物なのでしょうか。天国では相手と互いに食べ物を食べさせあうなどの話も聞きますが、それも関係あるのですか。

精進料理は禅僧の食べるもの、あるいは潔斎中の食事なので、本来の意味としては酒や肉などが入り込む余地はありません。肉が入っていれば、それは和食や懐石料理ではあっても、精進料理とは呼べませんね。また、果物や缶詰を詰める籠は、亡くなったひと、あ…

「朱」という色には、中国で何か特別な意味があると聞いたことがあります。施朱のような風俗は、他の国にもあるのでしょうか。

辰砂やベンガラ(酸化鉄)と呼ばれる赤色顔料、すなわち丹や朱を辟邪のために用いる、という発想は多くの国の文化にみることができます。とくに水銀は防腐剤としても使用されたので、単に太陽や血を連想させるだけでなく、実際の効果から辟邪の考え方に繋が…

古墳が死後の住居ではないとするならば、家形埴輪も生前の住居とするのが妥当ではありませんか。

この感想が幾つもあったので、皆さん同じように考えるのだな、と少し驚きました。竪穴式石室と埴輪との関係性自体がまだ議論しうるところなので、必ずしも「古墳が死者の住居ではないから、家形埴輪も死者の住居ではない」とはいえないようです。例えば、古…

古墳時代の庶民は、どのように埋葬されていたのでしょうか。

古墳時代の庶民の墓については、残念ながらよく分かっていませんが、幾つか庶民墓地の可能性が高いといわれている遺跡はあります。例えば、直径2〜3メートルの不整形土坑700基ほどを持つ古墳前〜中期の大阪府長曽根遺跡、長辺1.2メートルほどの方形土坑約1…

地理的にはヤマトに近い滋賀や福井に古墳がみられず、埼玉や群馬の方が多いのはなぜでしょうか。

前方後円墳が少ないということは、必ずしも政治的に発展していない、もしくは支配的な首長が存在しない、ということに直結しません。とくにヤマトなど強大な支配力を持った王のいる場所に隣接している地域は、彼らによって直轄統治され、仲介する在地豪族の…

ヨーロッパでは、古墳のような大規模な首長墓が展開したような話は聞いたことがない。西洋でそうした展開がなかったのはなぜなのだろうか。

確かに、我々にとってはアジア地域のものが身近ですが、ヨーロッパにも石器〜金属器の時代に墳丘墓が見受けられます(そもそもピラミッドが王墓なわけですが)。墳丘墓は王の権力の象徴ですので、社会に占める王権の位置の相違によって、その作られ方は異な…

宮内庁が天皇陵の調査に許可を出さないのはなぜですか。

いろいろ複雑な問題が絡んでいます。まず天皇陵は天皇の祖先たちが葬られる墓地であり、日本国の象徴である天皇家のプライバシーを侵害するというのが建前的な理由でしょう。そのプライバシーは個人の尊厳に関わるものではなく、国家の尊厳に関わるものです…

世界史で古代史を勉強していると、神事を司る人間が権力を掌握する事例が多くあります。日本ではそのようなことはなかったのでしょうか。古墳に埋葬されている首長は、そもそもどのように権力を掌握したのでしょうか。

もちろん、日本でもそのような事例はあります。少なくとも古墳時代までは祭政一致の状態ですので、古墳に葬られている権力者は、政治的首長であると同時に宗教的能力を認められた者であり、いいかえると、神的な力がなければ首長や王として君臨することがで…