2014-06-13から1日間の記事一覧
まったく構いません。ちなみに、先日とある研究会でメルヴィルの『バートルビー』に関する報告を聞き、これはフレイザーの『金枝篇』が論じている〈王殺し〉で読み解ける内容だな、と思いました。近代文学を、神話をツールとして読み解くという方法もありか…
インターネット上の資料は玉石混淆です。自分で情報ソースを批判し、正確なものと認められるならば使用しても構いません。参考文献のひとつですので、どのようなサイトを対象としたのかも、当然評価対象となります。
あなた自身に原文を扱う能力が身に付いているのならば、挑戦してほしいと思います。神話を歴史学的に扱おうとすれば、やはり原文で読まなければ埒が開きません。ただし、そうすることが過度な負担になるというのなら、とりあえずは邦訳のものを対象としても…
構いません。ただし、考察の際に、神話その他の語句は厳密に注意して使用してください。
古代の習俗の実態については不明の点が多いですが、現状から類推すれば、やはり腰に巻くのではないかと思われます。腰が人体の「要」であるという考え方は中国思想に見受けられ、4世紀頃から確認できる「丹田」の概念もこれに由来するのかもしれません(ち…
上の話と連結していえば、「神と人間は交感可能」という理解が広まったためであり、それは自然環境などに優越しうるという人間の傲慢さが招いた結果でしょう。逆説的ないい方になりますが、ヒト至上主義の展開に伴って神は優しくなったのです。
自分の生命より家を優先する、というのは面白い解釈ですね。しかしここでは、やはり歴陽水没譚と同様に、災害=ここでは疫病の大規模性、無差別性を標榜しているものと考えられます。前近代、災害や疫病などは神霊によってもたらされるとの発想がありました…
確かに、『リグ・ヴェーダ』のプルシャ讃歌では、世界の根源である原人プルシャが神々に供犠された際、切り分けられたその両腕からクシャトリヤが生まれたことになっています。しかしこれは階層としてのクシャトリヤの起源を語る神話であって、個々の貴族・…
必ずしもそうとは限りません。禁足地として最も典型的なのは神体山ですが、その成立過程をみますと、面白いことが分かります。まず縄文時代において、人々はかなりの高山へも狩猟のために入っていたことが確認されます。しかし弥生時代になると、200メートル…
最初に扱った高誘注型歴陽水没譚のように、タブーが守られる話もあります。しかし確かに、多くは侵犯されてしまう。それはタブー自体が、侵犯に対する罰への恐怖によって維持されるからでしょう。いかなる罰が下るのかを、具体的に示さなければならないとい…
以前に論文で書いたことがありますが、神話論の回でもお話ししたとおり、〈見る〉ことは世界を分節し秩序化することを意味します。量子力学ではありませんが、〈見る〉ことを通して、それまでマージナルな情況にあることを許されていた曖昧なものが、どちら…
このあたりは、解釈論にならざるをえませんが、ぼくは水が世界の根源であるとの発想が関わっていると思います。中国江南地方には、戦国時代の段階で、天地が開闢する以前に世界は水に満たされていた、との神話的思考が存在したことが確認されています。あら…
「津浪てんでんこ」というスローガン自体がそれとして成立し、普及するのは、三陸津浪の被害を検証し減災・防災について描いた山下文男の著作活動以降なので、1990年以降です。「津浪のときはてんでんこ」という発想は、すでに三陸の人々の行動規範のなかに…
この質問であらためて気がつきましたが、前回お話しした危険感受性・避難瞬発力の問題からいえば、「近隣に避難を呼びかける」要素が付加されているものの方が、成立が新しいのではないかと思います。とにかく逃げなければならない、そうでなければ助からな…
これから追々お話ししてゆくことになると思いますが、歴陽周辺には、高誘注型水没譚のヴァリアントが極めて多く残っており、そのなかには、どうも書承のみの変化によらないものも存在しています。文体がまったく異なっていたり、何らかのランドマークと結び…